あの天皇賞へ。札幌記念で思い出す、ヘヴンリーロマンスの「ミラクル」 (2ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

 それでも、4歳暮れにはGII阪神牝馬S(阪神・芝1600m)を制覇。重賞ウイナーの仲間入りを果たした。が、まさにその直後から、彼女はスランプに陥ってしまう。

 その後の4戦は、6着、11着、10着、10着。すべて重賞で、11着に沈んだのはGIフェブラリーS(東京・ダート1600m)だったとはいえ、その成績は決して褒められるものではなかった。フェブラリーS以外は、それなりの人気を得ていたことを思えばなおさらだ。

 そこで、陣営は福島牝馬S(福島・芝1800m)で10着と大敗したのを機に、休養に入ることを決断する。

 休養期間は4月から8月までの、およそ4カ月だった。この間、彼女がどのように過ごしていたのか、あるいは彼女の身に何があったのか、詳しいことはわからない。けれども、この休養によって、彼女はまさしく"激変"する。

 復帰初戦は、GIIIクイーンS(札幌・芝1800m)。このとき、彼女の馬体重は前走から14kgも増えていた。だがそれは、休養明けの「太め残り」というよりも、体調面の上昇ぶりを物語るものだった。勝ち馬とハナ差の2着という結果が、それを証明している。

 レースでは好位を追走。直線に向くと外から前方馬群をとらえ、勝ち馬に鋭く迫った。ふた桁着順にあえぐ、休養前の物足りなさを感じる競走馬としての姿は、そこにはなかった。

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