【競馬】ダービー発走直後、愛馬の「異変」を感じた生産者 (3ページ目)
だが、ディープブリランテの場合は、とにかくレースでの折り合いがカギ。皐月賞から距離が延長されるダービーで、前走のように行きたがる素振りを見せれば致命的だ。スウィーニィ氏も、伊藤氏も、「体調よりも、とにかくレースでリラックスできるか。それだけ」と、同じ思いでスタートを待ったという。
15時40分。ついに日本ダービーのゲートが開いた。5月8日の深夜に産まれてから3年と少し。生後2カ月で国内最大級のセリ市に上場された遅生まれの素質馬は、見事にダービーのスタートを切ったのだった。
大歓声の中、18頭の3歳馬たちは第1コーナーに入っていく。そしてこのとき、スウィーニィ氏はディープブリランテの様子を見て、思わず驚いた。
「ディープブリランテが、今までになくリラックスしていたんです。いつもなら馬は躍起になって走ろうとし、鞍上の岩田(康誠)騎手は立ち上がるようにして手綱を引っ張っているところ。でもダービーの1コーナーでは、手綱がいつもより緩んでいて、力んでいなかった。走り方もまったく違って、困惑させられました」
皐月賞とは異なる、リラックスした走り。この大舞台で、ディープブリランテはそのかかり癖を見せなかった。
「皐月賞のとき、ブリランテはどんなレース展開でも引っかかる馬なのだと感じました。ですから、ダービーのリラックスした姿は、とても信じられませんでしたね。むしろ、『馬に何か異変があったのでは?』と思ったほど。例えば、体調が悪いとか、元気がないとか。パドックを見て、好調だとは確信していたのですが、それでもそんな不安が頭をよぎってしまったんです。それほど信じられないことでした」
いずれにせよ、皐月賞やそれまでのレースとは違う姿をダービーで見せたディープブリランテ。次回は、激闘ダービーの終盤を振り返る。
(つづく)
ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長、『待兼牧場』の総支配人を歴任。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。
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