【競馬】日本競馬に精通した外国人ホースマンに芽生えた「野心」 (2ページ目)

  • 河合 力●文 text&photo by Kawai Chikara

 さて、日本に来てから『大樹ファーム』(北海道大樹町)、『待兼牧場』(北海道日高町)と、合わせて約8年間働いてきたスウィーニィ氏だが、その職を辞してからすぐにパカパカファームの開場を決めたわけではない。前回までに取り上げた通り、フリーのトレーダーとして約3年間、繁殖牝馬の輸出や、仔馬のピンフッキング(日本で購入した仔馬を調教し、海外のトレーニングセールなどで売却)などを行なっていた。

 日本と海外で求められる血統や能力の違いに着目して行なったそれらのビジネスは、とても順調なものだったように思える。しかしこのとき、トレーダーとして働くスウィーニィ氏の中には、別の野心が芽生え始めていた。

「繁殖牝馬の輸出やピンフッキングは、確かに立派なビジネスです。でも、こうした仕事で、私がサラブレッドに携われるのは、ほんの一瞬。あくまで、生産者や馬主の仲介に過ぎません。ですから、"自分の馬"という感覚は乏しいのです。そこに、物足りなさを感じたのかもしれません。日本で競走馬の生産と育成に関わってきたからこそ、やはり『自分の牧場を作って、イチからサラブレッドを育ててみたい』という思いが強くなってきたのです」

 スウィーニィ氏は、乳牛などを飼育する牧場を営むアイルランドの農家に生まれ、獣医学校を卒業した。その後、アイルランドの競走馬生産牧場などにも身を置いたが、「自分で牧場を作りたいとは一度も思わなかった」という。しかし、獣医師として来日した『大樹ファーム』において、図らずも「場長」を任され、さらに『待兼牧場』で育成を担当した経験が、知らず知らずのうちに「サラブレッドの牧場を作ってみたい」という夢を大きくしていったのかもしれない。

 また、同時にフリーで行なっていたビジネスにリスクを感じていたことも、開場を決断した理由のひとつだという。

「繁殖牝馬の輸出もピンフッキングも、短いスパンで利益が出るのは大きなメリットです。反面、損失が生まれやすいのも事実。特にピンフッキングでは、育てている仔馬に途中でアクシデントが起きれば、大きな赤字になります。数回の成功で得た利益が、一度の失敗で消えてしまうんです。常に大きな損失を被(こうむ)るリスクを抱えながら、日本で長期間ビジネスを行なうのは、得策ではないと感じました」

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