【競馬】競馬先進国の人間が驚愕した日本の「競馬システム」 (3ページ目)

  • 河合 力●文 text&photo by Kawai Chikara

「来日1年目の秋、大樹ファームで生まれた当歳(0歳)のサラブレッド3頭を競走馬のセリ市に出すことになりました。すると、セリの少し前に(大樹ファームの)アドバイザーのジョン・マルドゥーン氏(アメリカで多くの名馬を手掛けた生産者)から『日本のセリは海外と全然違う。きちんと練習させないと買ってもらえない』と言われたんです。その言葉の意味が、最初はどういうことなのか、まったくわかりませんでした」

 まだ体の幼い当歳馬が持つ能力や将来性を見極めるうえで、歩き方や脚さばきは非常に重要な判断材料となる。歩き方や脚の動きにクセのある馬は、ケガをしやすいとも言われており、日本における競走馬のセリ市の中には、馬をただ歩かせて見せるのとは別に、速足歩行を行なう時間を設けて、バイヤーたちの判断材料にさせているケースがある。しかし、これがスウィーニィ氏には驚きだったのだ。

「私はそれまで、このようなプログラムのセリをヨーロッパで見たことがありませんでした。ヨーロッパのセリは馬を普通に歩かせるだけですが、日本のセリには速足のセクションがあり、まさに馬たちの“発表会”。当日までに速足などの練習をしておかないと、評価が上がらず、良い値で買ってもらえません。しかしその反面、脚さばきの良い、才能のある馬は生まれたばかりでもきちんと評価される可能性があるということ。生産者としては、早々に取り引きされることは、決して悪くないことだと思います」

 細かく工夫された日本の競馬システムを見る度に、日本競馬の魅力にとりつかれていったスウィーニィ氏。「世界全体で見ても、これほど大きな市場と丁寧に作り上げられたシステムを持つ日本競馬は、必ず大きな成長を遂げる」と確信したという。そしてその確信が、日本に長期滞在する決心につながったのだった。

 その結果、スウィーニィ氏は1990年から5年間、大樹ファームに勤務する。2年目以降は徐々に日本語も覚え、順調に場長の仕事をこなしていったようだ。そしてその中で、「日本競馬の可能性」とともに、日本の競走馬生産界が持つ「特殊性」をも感じていた。次回はスウィーニィ氏が感じた特殊性にまつわるエピソードを紹介する。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長を務める。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る