【木村和久連載】「片山騒動」で注目集まる、プロアマ攻防戦100年史 (2ページ目)

  • 木村和久●文 text by Kimura Kazuhisa
  • 服部元信●イラスト illustration by Hattori Motonobu

 今回、片山選手と一緒にラウンドした方は、片山選手とのラウンドを自らリクエストしていたそうです。頼んでラウンドできる立場って、相当なセレブな方だと思います。

 ここからは私の想像ですが、おそらく今回は"狙い打ち"した感もあるのではないでしょうか。要するに、わざと事件を起こして、片山選手を懲らしめて、プロアマの仕組みを変えよう、とね。その結果"大事件"となって、低迷する男子プロトーナメントのイメージ改善にも、ひと役買ったというわけです。

 ということで、日本のゴルフ界の"プロアマ攻防戦"100年史をひも解いていきたいと思います。

(1)本来、ゴルフはアマチュアのものだった
 調べればわかりますが、ゴルファーは最初にアマチュアがいて、プロはあとから生まれています。

 1903年、日本最初のゴルフ場が神戸に誕生します。それが、アマチュアの始まりです。

 日本で初めてプロが誕生したのは、1920年。最初のプロは福井覚治とされており、同期に宮本留吉などそうそうたるメンバーがいます。

 ただし、プロゴルファーが大々的に活躍するのは、1957年のカナダカップからです。その年にPGA(日本プロゴルフ協会)が創設され、霞ヶ関カンツリー倶楽部で同大会が開催されました。

 大会では、サム・スニード(アメリカ)やゲーリー・プレーヤー(南アフリカ)らを相手に、我らが中村寅吉&小野光一ペアが大奮闘。個人と団体で優勝を飾ったのです。

 もはや、力道山のプロレスみたいな熱狂ぶりで、そこから日本はゴルフブームに沸くのです。

 とはいえ、同大会の裏事情を明かせば、体格的に外国人選手には敵わないから、"高麗グリーン"の霞ヶ関CCに誘い出して外国人を混乱させよう、という魂胆がありました。狙いは見事に的中し、高麗グリーンの曲がり具合に面食らって調子を崩す外国人選手が続出したそうです。

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