【ワールドカップ】サッカー日本代表はぬるま湯? 世界では勝てなかった代表監督が次々と去っていった (2ページ目)
【失われるのは仕事だけではない】
もっともその決定は敗戦だけが理由ではなかった。選手と監督の間には少し前から壁ができていた。そして試合中、スタンドではラムシ監督の息子とチュニジア人サポーターが激しく言い争う騒動が起きていた。息子は代表スタッフとして明確な役職を持たないままチームに帯同し、その存在には以前から批判の声が上がっていた。その火種が一気に燃え上がった。ひとつの敗戦が、積み重なっていた不満をすべて噴き出させたのである。
ラムシはチームを去り、協会は高額な報酬を用意して後任にエルベ・ルナールを迎え入れる。アフリカを知り尽くした名将なら、この混乱を収めてくれるはず――そんな期待が寄せられた。しかし、魔法は起こらなかった。第2戦で日本に0-4で敗れると、チームは立ち直ることなく3戦全敗でグループステージ敗退。そしてルナールもまた短い任期に終止符を打った。わずか数週間でふたりの代表監督が姿を消した。
ワールドカップではひとつの敗戦が監督の職を奪うことがある。だが、時に失われるのは仕事だけではない。人生そのものが変わってしまうこともある。
韓国のホン・ミョンボは、その現実を誰よりも痛感したひとりだろう。現役時代、彼は韓国サッカーの象徴だった。2002年日韓ワールドカップではベスト4進出の立役者となり、その名は国民的英雄として刻まれた。だからこそ、2026年大会での期待も大きかった。しかしその期待は、グループステージ敗退という結果によって、一瞬で失望へと変わった。ホン監督は責任をひとりで引き受け、辞任を表明した。だが、それで終わりではなかった。終わらせてもらえなかった。
SNSには「代表監督にふさわしくなかった」「韓国サッカーの恥」といった言葉があふれ、一部には脅迫めいたメッセージまで届いたという。サポーターだけではない。韓国の大統領までもが彼を公然と批判した。ワールドカップの敗戦が、国家的な出来事になってしまったのである。かつて国民から最も愛された男は、祖国で暮らし続けることさえ難しいと判断し、新たな生活の場をアメリカ・ロサンゼルスに求めた。
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