【FIFAワールドカップ】各国ユニフォームの昔話 デザインも装飾もないウェアにある時「3本線」が入った (2ページ目)
【「3本線」と「2本線」】
「3本線」は、もちろんアディダス社のトレードマークだ。
1950年代以来、シューズには各社独特のデザインがほどこされており、とくにアディダスの「3本線」は有名だった。
僕がサッカーを始めた1960年代には、日本にも「3本線」を模倣したシューズが出回っていたし(現在では許されないことだろうが......)、サッカー専門誌にはアディダスの広告も載っていた。
しかし、プーマのシューズはまだ見たことがなかったので、1966年W杯イングランド大会の記録映画『ゴール』のなかで得点王になったエウゼビオが履いていたプーマのシューズを見て、「あの波のようなラインはどこのメーカーなんだろう?」と不思議に思ったことがある。
アディダスは、1974年大会ではその「3本線」をユニフォームの袖およびパンツの側面、ストッキング上部に付けてしまったのだ。そのことによって「W杯出場国の大半がアディダスのユニフォームを着用している」という事実を世界中に知らしめた。つまり、1970年代以降顕著になるサッカーの商業主義化の端緒ともいうべき行為だったわけだ。
ただし、例外がふたつあった。
ひとつは、見事に開催国優勝を果たした西ドイツ代表のユニフォームには「3本線」が付いていなかったのだ。トレーニングウェアなどにはたしかに「3本線」が付いていたのに、白と黒のユニフォームには付いていなかった。
つまり、アディダスは自らのルーツである西ドイツ代表に関しては(「無地の白」という)伝統を守ったのだ(西ドイツのユニフォームに「3本線」が付けられたのは1982年のスペイン大会から)。
もうひとつの例外は、この大会を象徴するオランダのスーパースター、ヨハン・クライフだった。
この大会のオランダは守備ラインを高く上げてオフサイドトラップを仕掛け、ポジションに関係なく攻撃に参加し、前線から相手ボールに対してプレッシャーをかけていく革新的なサッカーで世界を魅了した。いわゆる「トータル・フットボール」だ。
そのオランダもアディダス製のユニフォームを着用していたから、オレンジのユニフォームの袖には黒い「3本線」が付いていた。ところが、キャプテンのクライフだけは「3本線」でなく「2本線」だったのだ。
掲載の写真でも、右のヨニー・レップ(背番号16)が「3本線」なのに対して、中央のクライフは「2本線」なのがわかる。
これは、クライフが個人的にアディダスのライバルであるプーマと契約していたからだ。今では考えられないことだが、アディダスはクライフに"特例"を与えたわけである。
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