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パルマ移籍以降は大きなインパクトを残せなかった中田英寿、それでも彼の功績を認めたイタリア政府は勲章を授けた (3ページ目)

  • ルカ・ビアンキン(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)●文 text by Luca Bianchin (La Gazzetta dello Sport)井川洋一●翻訳・構成 translation by Yoichi Igawa

【「人々がもっと旅をすれば、差別や偏見は減るはず」】

 芸術を愛する中田とフィレンツェの相性は最良にも思われたが、ここでの1シーズンはイタリアで最も低調なものとなってしまう。第9節のレッチェ戦では3アシストを記録したが、それ以外にこれといった活躍がなく、後半戦は出番を減らし、無得点のままシーズンを終えた。16位でなんとか残留したチームのサポーターは中田をスケープゴートのひとりとし、スタンドでは"ナカタストロフェ"という造語──ナカタとカタストロフェ(大失敗の意)の組み合わせ──のバナーが掲げられる時もあった。

 2005年の夏に、中田のイタリアでの生活は終わりを告げた。イングランドのボルトン・ワンダラーズへ期限付きで移り、そのシーズンの後に行なわれた2006年W杯を最後に彼は現役を退いた。

 2005年10月にはイタリア政府から、イタリア連帯の星勲章──イタリアを離れた人か外国人に与えられる最高勲章のひとつ──が授けられた。国外でイタリアの印象を上げた功績が認められたものだ。

 中田はその後も旅を続け、アフリカの難民キャンプを含む世界各地を訪れ、こんな言葉を残している。

「人々がもっと広く旅をすれば、くだらない差別や偏見が少なくなると思う」

 地球人ヒデトシ・ナカタはイタリアに大きな足跡を残した。このストーリーは徐々にトーンを落としていったが、中田はいつイタリアに戻ってきても、多くの笑顔に大歓迎される。ユベントスのファンだけは、ちょっと違うかもしれないけれども。

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