【欧州サッカー】悪童ガスコインのプレーはいつだって楽しかった 才能を持て余したスーパースターの末路 (3ページ目)
【トラブルメーカーのレッテル】
だが、ガスコインは自制が利かなくなっていった。
キーパーグローブのなかに放尿する。チームメイトに大量の花火を放り投げる。クルマのフロントガラスを叩き割る......悪戯(いたずら)がエスカレートしていった。
対戦相手やレフェリー、メディアに対する罵詈雑言(ばりぞうごん)は日常茶飯事で、酩酊(めいてい)状態になるまで酒を飲むことも数えきれないほどあった。
さらに、1990-91シーズンのFAカップ決勝ではノッティンガム・フォレストのゲイリー・チャールズに、スパーズからラツィオに移籍した1994年のトレーニングマッチでは18歳だったアレッサンドロ・ネスタに危険なタックルを仕掛け、ともに自身がケガを負って長期欠場を余儀なくされている。
ガスコインの奇怪な行動はFA(イングランドサッカー協会)でも問題視され、1998年フランスワールドカップに臨むイングランド代表から除外する決断を下される。代表を率いるグレン・ホドル監督は、ガスコインの不摂生を決して許さなかった。
「もしガスコインがいれば、より柔軟な戦い方が可能だったと思う」
大会後にデビッド・ベッカムが嘆いても、あとの祭りだった。
もし、選手のプライベートまで厳しく管理するファーガソン監督のもとでプレーしていれば、ガスコインの人生は変わっていたかもしれない。いや、自由を奪われた窮屈さに納得できず、監督の顔面を殴打して追放されていたかもしれない。
2004年に引退したあとも、深酒、暴力沙汰、ギャンブルによる多額の借金など、彼にまつわるトラブルは続いている。今年7月には自宅の寝室で意識を失って病院に搬送された。ほんの少しでいいから自制し、周りの意見に耳を傾けていたら、もっとハッピーな生涯が続いていたに違いない。
ただ、トラブルメーカーのレッテルがついてまわるガスコインだが、長い歴史を通じてもイングランド屈指のタレントであることに疑いの余地はない。豊かなイマジネーションに基づくドリブル、パスワークは誰もが見惚れた。
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