検索

【欧州サッカー】悪童ガスコインのプレーはいつだって楽しかった 才能を持て余したスーパースターの末路 (2ページ目)

  • 粕谷秀樹●取材・文 text by Kasuya Hideki

【悪童に手を差し伸べた人物】

 小さなころからポッチャリ体型だったという。チョコレートやジャンクフードが好きだったのだから無理もない。それでも天性のテクニックが注目の的となり、13歳でニューカッスル・ユナイテッドの下部組織に加入した。

 16歳になると、ユースチームの主将としてFAユースカップ優勝に貢献。緩急の使い分けで簡単にマークを外し、ドリブルでは肩を入れて、ひじを張りながら前に進む。そしてルックアップした瞬間、あらゆる距離のパスを通す。ユースレベルでは明らかに別格だった。

 ただ、監督やコーチが口を酸っぱくして注意しても、食生活をあらためる気配すらない。短気な性格はたびたび周囲とトラブルを起こし、ニューカッスルはガスコインの扱いに困り果てていた。

「その体型を何とかする気があるのなら、面倒を見てやってもいい」

 周囲の意見に耳を貸さない「悪童」に救いの手を差し伸べたのは、トップチームのジャッキー・チャールトン監督だった。イングランド代表のレジェンドであり、誰もがリスペクトする紳士の忠告には、ケンカ上等のガスコインも従うほかなかった。

 チャールトンの指示どおりに余計な肉をそぎ落とし、1985年4月にトップチームでデビューすると、翌シーズンは早くもレギュラーに定着。プロ3シーズン目の1987-88シーズンには、プロ選手協会が選ぶヤングプレーヤー・オブ・ジ・イヤーに輝いている。複数のクラブがガスコイン獲得を試みたのも当然だった。

 あの時の選択は、果たして正しかったのか──。

 1988年夏、ガスコインはニューカッスルからトッテナム・ホットスパーに移籍する。ただ、マンチェスター・ユナイテッドも興味を示し、アレックス・ファーガソン監督が交渉役を買って出ていたという。

 ガスコインはスパーズでも本領を発揮した。ゲーリー・リネカーとの連係は特に美しく、イングランドフットボールの未来を託せるコンビだった。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る