クリスティアン・ヴィエリの全盛期はまさに無双 相手DFを圧倒する問答無用のパワーファイター (2ページ目)
【ロナウドとの2トップは強烈】
翌シーズンはユベントスに移籍。アレッサンドロ・デル・ピエロと息の合ったプレーを見せた。当時のヴィエリは23歳。長きにわたりイタリアの名門を支えるかに思われたが、1シーズンであっさりとアトレティコ・マドリードに去っていった。
スペインに行っても、ヴィエリはまだ落ち着かない。24試合・24ゴールの大活躍でラ・リーガ得点王を獲得したにもかかわらず、「なんて甘っちょろいリーグなんだ」と批判。1998-99シーズンはラツィオに新天地を求め、さらに1999-2000シーズンはインテルに移籍した。
望まれるチームでプレーすることがプロの幸せだとしても、ヴィエリの移籍ペースは尋常ではない。もう少しだけ落ち着いていれば、より高い評価を得られたのではないだろうか。
愛情をもって選手に接するマッシモ・モラッティ会長(当時)に気を許したのか、ヴィエリはインテルで6シーズンを過ごしている。しかも全シーズン公式戦でふたケタゴール以上を記録し、190試合・123ゴール。リーグ得点王に輝いた2002-03シーズンは23試合・24ゴールという出場試合数を得点が上回る離れ業(わざ)までやってのけている。
特に「フェノーメノ(超常現象)」とまで言われたロナウドとの2トップは強烈だった。ともに小細工を弄(ろう)せず、パワーとスピードだけで立ち向かった。
2000年代初期のカルチョ・イタリアーノは、カテナチオ(堅守速攻の守備戦術)の名残がまだあった。華麗なるパサーよりもハードワーカーが重宝される時代だ。ストライカーは心地がよくない。
だが、ヴィエリとロナウドは独力で、もしくはふたりだけの連係で立ち向かった。ふたりがコンビを組んだ期間は3シーズン。ロナウドのケガの影響がなければ、「スクデットはインテルが勝ち取った」と指摘するメディアは今でも少なくない。それほどヴィエリとロナウドの2トップは強力だったのだ。
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