久保建英の3年を想うレアル・ソシエダの本拠地最終戦 輝きを生んだ「結びつき」とは (2ページ目)
【久保が受け入れられた土地柄】
練習場があるスビエタ(下部組織の施設もすべて集まっている)でランチタイムを過ごした。そこはラ・レアルのユースや女子チームの選手でごった返していた。その日の関係者用のランチセットはAlubias(インゲン豆とチョリソの煮込み)、Arroz a la cubana(キューバ風ライス)、Patata con Bacalao(バカラオとポテトのスープ)やGuisante con ternera(牛肉とえんどう豆の煮込み),Pollo frito(チキンフライ)などから二皿を選ぶ形だった。デザートにはバスク地方の名物であるチーズケーキやプリン、ヨーグルトなど。食後にはエスプレッソやCortado(エスプレッソにミルクを垂らしたもの)だ。
久保が所属するトップチームは、もうひとつの施設で昼食をとることになっているが、仕入れの関係でメニューは似ているという。
ラ・レアルは食事を重視し、専属の料理人を雇い、レアレ・アレーナの地下にも食堂があった。試合の時間帯によっては、試合前にパスタやチキンなどを食べてから臨むこともあるという。お膝元のサン・セバスティアンは「世界一の美食の町」と言われるだけに食の意識は高いのだが、食は大事なコミュニケーションの場でもあるのだ。
久保が受け入れられたクラブ、土地はそういうところだった。
久保にとって、ラ・レアルは"約束の地"だったと言える。「ボールを大事にする」というコンセプトが何より合っていた。1年目の活躍によって、2年目はエースとなる自信を得て、チャンピオンズリーグベスト16に導いた(日本代表としてアジアカップなどに招集されなければ、後半戦の状況は変わっていたはずだ)。3年目、数字的には満足できないかもしれないが、彼がラ・レアルを救っていた。
その価値は、今やレアレ・アレーナで誰もが認めるものだ。
当時、レアレ・アレーナの目の前にあるホテルのカフェで、久保のチームメイトであるマルティン・スビメンディ(スペイン代表)の父親と会った。
「息子のマルティンはタケとすごく仲良しなんだ」
スビメンディ父はそう言って笑いながら、こう続けた。
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