マンチェスター・シティの両翼を務めるドクとボブ 欧州トップリーグのウイングは俊敏性の高い黒人選手が席巻する時代に (2ページ目)
【加速度的に増加した黒人選手】
パリ五輪が閉幕した。一日でいくつかの競技を見られるせいか、競技ごとに体格や身体能力に特徴があることがよくわかった。
スケートボードの女子ストリートで金メダルと銀メダルを獲った日本選手の年齢は14歳、15歳。この競技のピーク年齢は10代で、体重の軽さが有利に働くようだった。卓球も日本の得意な種目だが、欧州の代表にも東アジア系が何人かいて、俊敏さが決定的な要素なのだろう。スポーツクライミングは握力が重要そうだが、手足の長さと柔軟性が問われていて、体型は陸上競技の走高跳と少し似ている選手が何人かいた。
競技ごとに向いている体格、身体能力がある。ゴルフやテニスのように特定の体型に限定されていない競技もあるが、まさにその競技をするための体型、身体能力というものもあるわけだ。
陸上のトラック競技では、黒人選手の強さが目立った。短距離、長距離を問わずで、走ることに向いているのだろう。
サッカーでは、ここ25年間で黒人選手は明らかに増加してきた。
1980年代までは、欧州各国のリーグで黒人選手は少数派だった。欧州で最初に活躍した黒人選手は、ラルビ・ベンバレクでモロッコ出身。全盛期はアトレティコ・マドリードの連覇(1950、51年)の原動力となった。あのペレが「私が王なら、あなたは神だ」と言ったという名手である。
1960年代にはベンフィカのチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ/CL)連覇に貢献したモザンビーク出身のエウゼビオ、マリオ・コルーナの例はあったが、かつてアフリカの植民地を持っていたフランス、ポルトガルを除けば黒人選手はほとんどおらず、イングランド、ドイツ、イタリアのリーグにおいてはまだ非常に珍しい存在だった。
欧州でアフリカ系黒人選手を導入した先駆は、ベルギーだ。フランスがそれ続き、1990年代からは各国で増えていったが、加速度的に増加したのは21世紀に入ってからだろう。
現在、欧州クラブで先発11人が黒人選手でも驚くにはあたらない。実際、バイヤー・レバークーゼンのプレシーズンマッチを見たら、大半が黒人選手だった。もともと移民系選手の多いフランスもそう。しかし人口比率から見ても、現在の欧州クラブは明らかに黒人選手の割合は高く、それはサッカーが走る競技だということを意味しているのだろう。
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