中村俊輔もプレーした「セルティック・パーク」現在は5人の日本人が所属~欧州スタジアムガイド~ (2ページ目)
セルティックは2024年までに54度の国内リーグ優勝と、42回のスコティッシュカップ、21回のリーグ・カップを獲得し、ジョック・ステイン監督が率いた1966-67シーズンにはイギリスのクラブとして初めて欧州も制したスコットランドを代表する、欧州の名門クラブのひとつ。
なおステイン監督の名前は現在、西スタンドの名に残っている。またスタジアム正面にはチャンピオンズカップを持った銅像も飾られており、銅像の土台の銘には彼の名言「Football without the fans is nothing.」が書かれている。
クラブが最初に試合を行なったのは1888年だが、当時のスタジアムは間借りで、近隣の住民により整備された簡素な作りで2000人ほどの規模だった。だが、すでに当時から門には「セルティック・パーク」の名が刻まれ、選手は緑と白のユニフォームを着ていたという。
1891年、スタジアムの地代が上がったため、クラブは自前の土地で新しいスタジアムを持つことを決めた。名前はそのまま「セルティック・パーク」を使い、近くにあった現在の場所に移した。新スタジアムは、何十人にもよるサポーターのボランティアで建設され、誕生時にジャーナリストが「まるで墓地を出てパラダイスに来たようだ」と称したことから、そのまま「パラダイス」と呼ばれるようになったという。
初めての試合はレントンを4-3で下している。その後、クラブは100以上のタイトルを獲得しており、このスタジアムはまさしくサポーターにとって「パラダイス」となっていると言えよう。
その後、何度も改修されていく中で、1929年、高名なスタジアム建築家でありスコットランド人のアーチボルト・リーチによって作られた煉瓦のファサード(正面の飾り)があるメインスタンドが完成。だが、残念ながら1990年代後半にはスタジアムの拡張によりファサードは姿を消している。
また1990年代後半、「テイラーレポート」の影響により立ち見席が禁止されて、全座席制のスタジアムに再開発されていき、現在では60,000人ほどが収容できるスタジアムとなっている。なおセルティック・パークはスコットランドではラグビーのスコットランド代表のホーム「マレーフィールド」に次ぐ収容人数を誇る。そして2014年には「イギリス連邦のオリンピック」とも言われるコモンウェルスゲームズの開会式も行なわれた。
2 / 3