ユーロ2024開催地で50年前に見たW杯 トータルフットボールを封じたドイツのサッカーは強く魅力的だった (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【低迷期にはヒール役のような存在に】

 こうして、1972年の欧州選手権、74年W杯、そして1976年の欧州選手権と主要大会を3連覇した西ドイツだったが、ベッケンバウアー世代の選手たちが引退するとドイツは長い低迷期に入っていった。

 たしかに西ドイツは1982年から90年までW杯で3大会連続決勝に進出し、90年イタリアW杯では優勝を果たし、イングランドで開かれたEURO 96でも優勝を遂げた。

 だが、そのサッカーは1974年優勝当時の優雅さとはかけ離れたものだった。

 大きなスペースを見つけたら、早いタイミングでラフな大きなボールを蹴り込んで、そのパスを追ってつなげていく。たしかに効率的かもしれないが、ミシェル・プラティニを中心にパスを回したフランスのシャンパン・サッカーや、ディエゴ・マラドーナを擁したアルゼンチン、あるいはブラジルの"黄金の4人"に比べたら、ドイツのサッカーはまるで面白くなかった。

 誰もが楽しみにしていたプラティニのフランスや、マラドーナのアルゼンチンを苦しめる、ヒール役のような存在でもあった。

 イングランドの得点王、ガリー・リネカーが「フットボールというのは90分間22人の選手がボールを追いかけ、そして最後にはドイツが勝つスポーツだ」という"名言"を残したのは1990年イタリアW杯の時だった。

 ドイツ人のなかにも、自国の悪口を言う人がいた。

 1986年のメキシコW杯の時、西ドイツ代表が試合をしているはずの日に他会場で観戦していたドイツ人サポーターに「ドイツの試合は、見に行かないの?」と尋ねたら、こういう答えが返ってきた。

「今の西ドイツ代表は面白くないから、見たいとは思わない。まあ、決勝にでも進んだら見に行くけど......」

 そして、この大会で西ドイツは実際に決勝に進出した。

 そんな低迷期を経て、1990年代に入るとドイツは協会(DFB)が育成部門を全面的に見直した。W杯優勝など結果は出していたのに、それでも「今のままではいけない」と判断して改革に踏みきったのだ。

 こうして、21世紀に入るとサミ・ケディラやメスト・エジル、マルコ・ロイスといったテクニシャン・タイプの選手が次々と育ってきた。いずれも1980年代末に生まれた世代である。その結果が、2014年ブラジルW杯での完璧な優勝につながったのだ。

 現在のドイツ代表の今後も、若い世代の選手にかかっているのは間違いない。

プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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