ユーロ2024開催地で50年前に見たW杯 トータルフットボールを封じたドイツのサッカーは強く魅力的だった (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【テクニックのある選手が集まった魅力的なサッカー】

 代表格が1974年西ドイツW杯では最終ラインからチームを操るリベロとしてプレーした主将のフランツ・ベッケンバウア-であり、また、左足を使った短いパスを交換することによって中盤を組み立てたヴォルフガング・オベラートだった。

 そして、西ドイツW杯ではほとんど出番が与えられなかったが、1972年の欧州選手権(現在のEURO)で大活躍したギュンター・ネッツァーもいた。オベラートが短いパスをつないで組み立てるのに対して、ネッツァーはロングレンジのパスを駆使してチームをダイナミックに動かした。

 こうした主役級だけでなく、その周囲にも何人ものテクニシャンがいた。決勝ではクライフを徹底したマークで消してしまったフォクツにしても、本来は非常にテクニカルで攻撃センスあふれるDFだった。

 彼らはいずれも1940年代半ばに生まれ、第2次世界大戦で敗れたドイツで育った。戦後の瓦礫のなかでボールを追って遊ぶなかで、テクニックを身に付け、その後、西ドイツ政府がスポーツ振興政策を充実させたことによって、適切な指導を受けて育った世代だ。

 こうしてテクニックのある選手が次々と現われると、もともとドイツが持っているフィジカルの強さや組織力と融合して、あの非常に魅力的で強いチームが完成したのだろう。

 たとえば、当時のイングランドはロングボールの蹴り合いと肉弾戦が繰り広げられるオールド・スタイルのままであり、また、イングランドのサッカー場は古色蒼然としたものばかり(それも魅力のひとつではあったが)。

 その点、正確でスピーディーなパスを駆使してゲームを組み立てる西ドイツは、とても近代的な印象だったし、W杯を前に改修、新設された各地のスタジアムもとてもモダンに見えた。

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