EURO名場面 攻めるオランダ、守るイタリア...欧州サッカーの真髄を見た (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

【2002年日韓W杯開催を前に...】

 欧州選手権は、このオランダとベルギーが共催した2000年大会からEUROとして浸透することになる。通貨もユーロに変わっていた。ただ、オランダは完全にユーロに移行していたが、ベルギーはその途中で、使えないお店が多々あったと記憶する。

「共催」の走りだった。その後、W杯では2002年の日本と韓国、EUROでは2008年のスイスとオーストリア、2012年のウクライナとポーランドと共催は続くことになる。

 オランダの面積は沖縄を除いた九州とほぼ同じで、ベルギーはその4分の3程度、関東地方とほぼ同じだ。大会期間中、定宿にしたのはベルギーに近いオランダ第2の都市ロッテルダム。欧州一の港町は中華料理が名物で、観戦取材から戻ると直行したものだ。同行カメラマンが運転するクルマと電車を使った移動距離の少ない日帰り旅行。コンパクトで快適な取材旅行だった。

 オランダの場合、観戦チケットの保持者はすべての公共交通の乗車を無料にした。試合が行なわれる都市に限定されたベルギーに比べると、太っ腹、そして現実的な政策だった。「試合後、敗れたチームが切符の券売機の前に長蛇の列を作れば、騒動が起きる確率が高まる」とは、大会前、組織委員会を取材した際に返ってきた言葉だ。

 日本は2年後に韓国と共催でW杯を開催する。この大会は何かを学ぶいい機会だった。ある試合の前にメディアセンターで仕事をしていると、日本から視察にやってきたW杯関係者と思しき人たちが現われた。何か話しかけられたり、尋ねられたりするかもしれないと、半分そのつもりでいたが、ご一行様は、ぐるっと室内をひと回りしただけで、興味なさそうにそそくさと出ていった。

 オランダからベルギーの会場へ車で向かうと、当然のことながら国境を通過する。EUになる前はそこに検問所があった。渋滞することもあった。それがなくなると、知らぬ間にベルギーに入国している状態になる。とはいえ、ベルギーに入るや、高速道路を照らす街灯はだいぶ暗くなった。路面も整備が悪いのか、ガタガタと振動し、乗り心地が悪くなった。

 税金の高い国として知られるオランダに対し、ベルギーは安い。元サッカー選手など、オランダのお金持ちはベルギーに住むと言われる。

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