ウーゴの死と複雑すぎるマラドーナの相続争い。野次馬を楽しませる一家のその後

  • 三村高之●文 text by Mimura Takayuki
  • photo by AFP/AFLO

 昨年の11月25日、稀代の英雄ディエゴ・アルマンド・マラドーナの一周忌には、世界各地で彼を偲ぶミサや功績を称えるイベントが行なわれ、母国アルゼンチンでは、サッカー協会の本部ビルの名称にマラドーナの名を冠することが発表された。

 それからわずか一カ月あまりあとの12月28日、ディエゴと9歳違いの末弟ウーゴ・マラドーナがナポリの自宅で心臓発作により急逝した。52歳の若さだった。2016年に結婚し、亡くなる直前まで、いつものように下部リーグのチームを指導していた。現役引退後から体重が増加。両親と兄ディエゴも苦しんだ肥満と心臓疾患は、ウーゴにも引き継がれてしまったようだ。 

 ディエゴと同じく、アルヘンティノス・ジュニオールスでデビューし、ナポリへ移籍したウーゴだが、選手として大成はせず、いくつかのクラブを渡り歩いた後の1992年、当時東海リーグ所属だったPJMフューチャーズ(現サガン鳥栖)と契約し、日本の地を踏んだ。

 Jリーグ入りを目指していたフューチャーズはディエゴの獲得を目指しており、その布石としてウーゴを獲得したと言われている。その後、福岡ブルックス(現アビスパ福岡)を経て、98年までコンサドーレ札幌でプレーし、両クラブのJリーグ昇格に貢献。15年間の選手生活で、最も長く充実したシーズンを過ごしたのは日本だった。偉大な兄と比較され、ディエゴが何か起こすたびにコメントを求められてきたが、「兄は兄、自分は自分」というスタンスを貫き通した。

昨年12月にはマラドーナを追悼して古巣バルセロナ対ボカ・ジュニオールスの一戦が行なわれた昨年12月にはマラドーナを追悼して古巣バルセロナ対ボカ・ジュニオールスの一戦が行なわれたこの記事に関連する写真を見る 弟よりも先に鬼籍に入ったお騒がせ男のディエゴ・マラドーナ。虎は死んでも皮を残すと言うが、ディエゴは死んでもスキャンダルを残している。

 いったい彼はどれほどの財産を残し、それを受け取れるのが誰なのかがいまだに判然としない。選手、監督としての報酬、スポンサーとの契約金、肖像権、キャラクター使用料など、生涯の総収入は5億ドル(約550億円)以上と言われている。しかし、スイス、ドバイ、ベラルーシ、メキシコ、イタリア、アルゼンチンに保有している銀行口座の残高合計は約600万ドル(約6億6000万円)。大金ではあるが、5億ドルをベースに考えると少ないように感じる。

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