中島翔哉に移籍のススメ。日本代表復帰に向けても重要な局面だ
所属クラブで構想外となっている選手にとって、年明け1月4日からオープンする冬の移籍マーケットは、苦しい現状を打破するための大きなチャンスだ。その類(たぐい)の選手と契約するエージェント(代理人)も、12月に入ると本格的に移籍交渉を開始する。
現在、ポルトガルの名門ポルトでプレーする中島翔哉のケースも例外ではない。
ポルトでポジションを失っている中島翔哉 すでに一部のメディアは中島の移籍の噂について報じているが、セルジオ・コンセイソン監督の信頼を得られていない中島の現状を考えれば、心機一転、この冬の移籍期間で新天地を求めるのは当然の流れといえるだろう。
注目されるのは、その移籍先である。
これまでのところ、噂に挙がっているのはUAE(アラブ首長国連邦)のクラブだ。2019年2月からの約半年間、中島はカタールにあるアル・ドゥハイルでプレーした経験がある。それだけに、中島のエージェントが再び中東のクラブと移籍交渉を開始したとしても何ら不思議ではない。
ただし、ポルティモネンセ(ポルトガル)からアル・ドゥハイルへ移籍した時とは、中島を取り巻く環境は大きく変わっている。
当時ポルティモネンセで2シーズン目を迎えていた中島は、チームの中心として活躍。そのシーズン前の2018年6月にはFC東京からの完全移籍も成立し、マーケットバリュー(市場価値)は右肩上がりの状況にあった。
実際、ポルティモネンセからアル・ドゥハイルへ移籍した際のトランスファーフィーは、日本人歴代最高額とされる3500万ユーロ(約44億円)を記録。ヨーロッパの他クラブへのステップアップ移籍も十分に考えられたが、当時の中島のマーケットバリューが1800万ユーロ(約22億円)とされていたこともあり、ポルティモネンセは大きな利益を手にすべく、アル・ドゥハイルへの売却に踏み切ったというわけだ。
振り返れば、その後のキャリアが低迷期に突入するきっかけになったのは、その高額なトランスファーフィーがきっかけになったという見方もできる。
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