2020.11.10

日本人がCL決勝出場に最も近づいた日。
バイエルン、本拠地優勝ならず

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

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アリアンツ・アレーナ(ミュンヘン)

 欧州一に輝いた回数は、チャンピオンズカップ時代を含めて6回。バイエルンは、レアル・マドリード(13回)、ミラン(7回)に次いで、リバプールとともに3位タイにつけている。ミュンヘンを訪れる回数が増えるのは当然だった。

 しかし、最初の訪問はバイエルンがらみではなかった。1988年の欧州選手権。ミュンヘン・オリンピアシュタディオン(五輪スタジアム)は、オランダ対ソ連(当時)の決勝戦と西ドイツ(当時)対スペイン戦を行なっている。

 1972年ミュンヘン五輪及び1974年西ドイツW杯でも、メイン会場として使用された総合型スタジアムである。蜘蛛の巣をイメージさせる透明な屋根に斬新さが垣間見えるものの、サッカー観戦者にとっては、トラック付きで、スタンドの傾斜角も緩い眺望の悪さが気になるスタジアムだった。反対サイドでプレーする選手の背番号は、視力2.0でも確認しづらい状態にあった。

 2000年に、ドイツが2006年W杯の開催地に決まると、当然のことながら新スタジアム建設の話が持ち上がった。コンペには、建築会社と建築士をセットにした28チームの応募があったという。そこから8つの案に絞られ、さらに2案で決勝を争うという仕組みだった。そして2001年2月8日、オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ社と、ヘルツォーク&ドゥ・ムーロンというジャック・ヘルツォーク氏とピエール・ドゥ・ムーロン氏による建築士ユニットに吉報が舞い込んだ。

2005年に完成したバイエルンの本拠地、アリアンツ・アレーナ ヘルツォーク&ドゥ・ムーロンは、この欄のボルドー編=ヌーボ・スタッド・ド・ボルドーで記したバーゼル(スイス)出身の建築家のユニットでもある。バーゼルと言えば、ユーロ2008の舞台のひとつにもなったザンクト・ヤコブ・パルクを想起するが、これも彼らが手がけたスタジアムになる。

 介護福祉施設やショッピングモールを併設した今日的なスタジアムとして知られるが、なにより目を惹くのは外観のデザイン性にあった。菱形のブロックパネルで覆われた外装が発光する、その斬新なアイデアを初めて見たとき、ディズニーランドに初めて出かけたときのような、ウキウキ感に襲われたものである。