日本代表が一流舞台に初めて立った日。サッカーの聖地に刻まれた歴史 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

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 後半3分、ダレン・アンダートンが先制したまではよかったが、日本に後半17分、三浦知良のCKから井原正巳に同点ヘッドを許すと、母国イングランドのプライドは空回りすることになった。日本を舐めたツケを味わうような、スタンドの満杯率20数パーセントにしては、面白すぎる試合展開になった。

 終了3分前、アンダートンが放ったシュートをゴール前で柱谷哲二がハンド。このPKをデビット・プラットが決め、イングランドは2-1で勝利した。恥をかかずにすんだ試合だった。

 とはいえ、68%対32%という支配率が示すとおり、日本は満足にパスを繋げず、出たとこ勝負のカウンター攻撃にしか活路を見出すことができなかった。蛇足ながら、それから四半世紀が経過したいまなお現役でいるカズが、試合後、ポール・ガスコインとキスまで交わしながらユニフォームを交換する姿に、気恥ずかしさを覚えた記憶は鮮明だ。

 このイングランド戦の前日練習の際に、筆者はウェンブリーのピッチレベルに降りている。横幅が規定の68メートルより2メートルほど広いと言われたピッチを取り囲んでいたのは、陸上トラックではなくダートだった。

 かつてアレーナが完成する前、アヤックスがチャンピオンズリーグを戦う時、アムステルダム五輪スタジアムをホームとして使用していたことがあったが、そのピッチ回りは、自転車走行用のバンクに囲まれていた。クロアチアのザグレブでもバンク付きスタジアムを見たことがある。だが、ウェンブリーに付帯していたダートは、なんとドッグレース用に作られたものだった。

 ドッグレースをその何年か後、実際にウェンブリーで観戦したことがある。ジョッキーもいないのに犬が勝手に走り、レースが成立していること、その走りが異常に速かったこと、さらにはそれが公営ギャンブルとして成り立っていることにも驚かされた。

 ピッチの脇には人間が何人か入れる穴があった。1970-71シーズンのチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)決勝。アヤックス対パナシナイコス戦の前夜、先輩カメラマンのTさんは、オランダ人の友人カメラマンと一緒にそこにじっと潜み、一夜を明かした。決勝戦を撮影するために――というエピソードを、Tさん本人から聞かされたのもその時だった。

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