人気抜群のクロップ監督。サッカーの根源の喜びをかきたてるキャラクターと戦術 (3ページ目)
33年前に生まれた画期的戦術。サッキの「ゾーンプレス」の仕組み>>
サッキは「スペクタクル」をテーマに掲げていた。たしかにサッキのミランには従来にない圧倒的なプレー強度があり、革命的なサッカーだった。ただ、サッキのミランが喚起した魅力は守備戦術が先導している。
筆者がサッカー雑誌の編集部員だった時、サッキの連載記事を担当していたのだが、そこでイタリアの記者を通じて攻撃についていくつかの質問をしたことがある。それまでの連載記事で、サッキは守備戦術についてとても雄弁な印象があった。ところが、攻撃についての回答は拍子抜けするほど平凡だったのを覚えている。
たとえば、もし同じ質問をクライフに投げていたら、百倍の答えが返ってきたかもしれない。実際、記事や映像のなかで攻撃について語るクライフは実に雄弁だった。
グアルディオラがバルセロナで大成功を収めて以来、サッカー界はボールポゼッションこそ正義という評価に傾いていたように感じる。かつて両巨頭だったクライフとサッキの評価も、かなり差がついてしまったかもしれない。
世の中がポゼッション一色になっていたころ、アリゴ・サッキを掘り起こしたラングニックもコーチ業界のカルト的な教祖と見られた感じで、こちらはどうも旗色が悪い。正義に対して悪ではないものの、敵役的な立場としたら言いすぎだろうか。
ところが、クロップには敵役感がまるでない。プレースタイル自体はサッキ、ラングニック、あるいはクライフのバルサをCL決勝で粉砕したファビオ・カペッロの流れを汲んでいるはずなのに、まるで違うサッカーをやっているように見える。
クロップのサッカーは勝利至上主義を超えていて、ハードワークが勝つための義務ではなく、それ自体が喜びであるようにプレーしている。それは、圧倒的に明るいクロップのキャラクターのおかげもある。ただ、ドルトムントとリバプールで、クロップはファンに喜びを与えた。あるいは分かち合った。優勝したことも理由だが、それだけでなく彼のサッカーが面白かったからだ。
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