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現代サッカーの一大派閥「ラングニック流」。その戦術を徹底分析する (4ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by Getty Images

 攻守一体はこのスタイルの武器である。有利な守備のために攻撃し、高い位置からの守備を攻撃に直結させる。そのため、ミスには鷹揚だ。自らテンポを引き上げていくので、ミスが続発するのはやむをえない。

 バイエルンが攻撃であまり中央エリアを使わず、守備では中央エリアでのボール奪取を狙っていたのは、相手により致命的なミスをさせるためで、ラングニック方式の応用と言える。

 バルセロナに代表されるポゼッションスタイルが「緻密で静的」なのに対して、ラングニック派は「ラフで動的」だ。相手の守備ブロックを詰将棋のようにはがしていく緻密さを求めない。

 まずはいち早く相手ゴールへ迫ること、そこでミスが出て失っても、即座に奪い返してしまえば相手の守備は整っていない。かえって厳重な守備ブロックを崩す手間が省ける。そのための技術も大して必要ではない。

 スポーツディレクターとして、ラングニックは25歳以下の選手しか獲得しない方針を打ち出していた。即戦力として獲得する選手の多くは、無名だが走れる選手だった。技術の「質」ではなく、運動「量」が重要なスタイルだからだ。

 ラングニックは、スターがいなくてもスターが君臨するチームに勝てるサッカーを志向している。サッカー界のスターは高度なテクニシャンだ。リオネル・メッシやネイマールには途方もない値段がついている。スターに頼らず、スターを否定しているラングニックは、サッカーの伝統的な価値観から言えば異端児だ。

 バイエルンはスター揃いとはいえ、彼らが与えた衝撃は「もうサッカーは、真のアスリートでなければプレーできないスポーツになったのではないか」という印象から来ている。それはまさにラングニックが蒔いた種が成長した結果だ。

ラルフ・ラングニック
Ralf Rangnick/1958年6月29日生まれ。ドイツ・バックナング出身。アマチュア選手としてプレーし、20代後半はプレーイングマネジャーも務めながら監督業へ。99年にシュツットガルトの監督に抜擢されると、その後ハノーファー、シャルケ、ホッフェンハイムの監督を歴任し、好成績を収める。12年からは飲料メーカー・レッドブル傘下のザルツブルクのライプツィヒのスポーツディレクターに就任。時折暫定監督を務めながら、独自の戦術、選手獲得育成戦略を推し進め、多くの監督たちに影響を与えている。19年からはレッドブルのサッカー開発部門責任者となり、北米・南米方面のチームの強化にも携わっている

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