20年先を行っていたクライフの戦術。ドリームチームはこうして生まれた

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

サッカー名将列伝
第2回 ヨハン・クライフ

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介。第2回はボールを保持して攻めつづける、現在のバルセロナのサッカーの礎を築いたカリスマ、ヨハン・クライフ監督だ。

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<2つ先の未来を行く>

 バルセロナでの監督業が終わり、指導者として第一線を退いた頃だ。TVのインタビューで、自分が率いたバルセロナの「ドリームチーム」の戦術を語り始めると、ヨハン・クライフはテーブルの上にあったフィールドを模した布(戦術布?)を手前に引き寄せた。緑色の布は手前から3分の1ほどがテーブルから垂れ下がってしまっている。そして、センターサークルにコマを1つ置き、「ここが最も重要だ」と話し始めた。

 説明する気がないのだ、自陣側の3分の1については。

1988年から96年までバルセロナの監督を務めたヨハン・クライフ1988年から96年までバルセロナの監督を務めたヨハン・クライフ センターサークルに置かれたのは「4番」の選手である。ドリームチームの4番は"ペップ"ことジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督)だった。Bチームから抜擢したペップは細身の技巧派で、当時このポジションでプレーする頑健なタイプとはまるで違っていた。

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