失ってわかるスポーツの意味。試合がなくなりメンタルヘルスに影響も (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

多くの人にとってスポーツを見ることは、試合そのものを楽しむより、他人と交流するための手段になっている。英ラフバラ大学のボルハ・ガルシア講師(スポーツ・マネジメント論)の研究チームは、ヨーロッパ各国のフットボールのサポーターに、それぞれの日常生活の中でフットボールが持つ意味を尋ねた。

 研究チームはサポーターたちに、試合を見に行ったときに撮った写真を送ってもらった。約1000枚の写真が集まったが、そのうち9割近くは試合を撮ったものではなかった。

「送られてきた写真は、たとえばアウェーの試合に出かけるバスの中や、子どもをスタジアムに連れていくときの細かな準備の様子、ゲーム前のスタンドの盛り上がりなどを撮ったものが多かった」と、ガルシアは言う。

 スタジアムで試合を見たり、友だちと一緒にテレビでスポーツを見るとき、人は個を捨てて、集団に溶け込む。それは、ほとんど本能的とも言える経験だ。

「『独りぼっちの哀れな自分』という思いを忘れさせてくれるなら、どんなものでも精神の解放につながる」と、ロンドンの精神分析医で『フットボールの錯乱』の著書があるクリス・オークリーは言う。

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