ジョージ・ベストとクライフ。ドリブルで時代を熱狂させた伝説の名手
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スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 第12回
ドリブルはサッカーのプレーのなかの一つだが、そのドリブルのすばらしさでファンを熱狂させ、喜ばせてきたスターがいる。前回に引き続き、今回も自分の得意の型で相手DFを抜きまくった、名ドリブラーたちを紹介していく。
<切り返し王選手権>
ドリブルで相手を抜く時に、子どもたちが最初に使う技は「切り返し」ではないかと思う。最も単純なドリブルでありながら、けっこう奥が深い。
切り返しと言えば、まず思い浮かぶのがジョージ・ベスト(北アイルランド)だ。
1960年代から70年代のマンチェスター・ユナイテッドで、見る者を熱狂させたジョージ・ベスト「天才を見つけました」というマンチェスター・ユナイテッドの北アイルランド担当スカウト、ボブ・ビショップの電報が伝説の始まりだった。電報を受け取ったクラブはベルファストにいた15歳の少年とアマチュア契約を結ぶ。
17歳でプロ契約。デビュー2年目にはリーグ優勝の原動力となっている。1965-66シーズンの欧州チャンピオンズカップ準々決勝、ベンフィカ戦の2ゴールで一躍ヨーロッパ中に名が知られるようになった。ポルトガルのメディアは「5人目のビートル」と見出しをつけている。この時期のザ・ビートルズはもはや社会現象と言っていい。ベストはビートルズ風の髪型だったが、英国の若者の多くがそうだった。
最終的に37歳で引退したベストだが、28歳で一度「引退」している。ユナイテッドでの11年間がキャリアのピークで、その後はいわば余生みたいなものだ。彼のキャリアを蝕んだのは直接的には飲酒だが、多大なプレッシャーが原因だったかもしれない。
ポルトガルの新聞が「5人目のビートル」と書いたことで、19歳のベストには有望な若手という以上の付加価値がついてしまった。音楽とは何の関係もない。しかし、「5人目」とされたことで若者世代のアイコンになっていく。フットボールプレーヤーがポップスターとなった最初のケースだった。選手としてのブレイクと時代の象徴としてのバブル的な人気、2つの波が重なったことで、ベストはたんなるフットボールプレーヤーではなくなっていくのだ。
天衣無縫とでも言うか、溌剌としたベストのプレーは派手な私生活とも重なって、若者の気持ちをわしづかみにした。何をやっても天才的だったが、とくにドリブルは格別である。
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