2019.09.21

遠藤保仁タイプ。70年代欧州サッカー、
忘れられない孤高の天才がいる

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 似たタイプとしてはベルント・シュスター、アンドレア・ピルロ、ファン・ロマン・リケルメが挙げられるだろうか。日本人なら遠藤保仁。ピルロに闘犬ジェンナーロ・ガットゥーゾがいたように、ネッツァーも誰かの支えがあればよかったが、1974年ワールドカップの西ドイツにはそこまで余裕がなかった。ネッツァー自身のコンディションもよくなかったようだが、オランダとの決勝を前に重要な役割を果たしている。

 西ドイツはベルティ・フォクツにクライフをマークさせることは決まっていた。当初はハーフウェイラインで待ち受ける作戦だったという。ところが、オランダを想定した紅白戦では、クライフ役のネッツァーにフォクツはまるで歯が立たなかった。決勝では迷いながらも予定どおりの待ち受け策で臨んだが、開始1分でクライフのドリブルからPKを与えてリードを許してしまう。

 ここで開き直ったフォクツがオールコートのマークに独断で変更し、以降はクライフに仕事をさせず、それが2-1の逆転勝利につながった。ネッツァーにやられたことで、早めに決断できたのだろう。かつてボルシアMGのチームメートとして、フォクツは「ネッツァーのために走る」と言い、そのとおりにチームの頭脳を支え続けた。ネッツァーは彼らしい形で恩を返したのかもしれない。

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