元JリーグMVPエメルソンが引退。問題児の半生は波乱万丈すぎる (2ページ目)

  • 沢田啓明●文 Sawada Hiroaki photo by Getty Images

 こうして2000年、エメルソンはコンサドーレ札幌(当時J2)へ移籍。J2では規格外の存在で、34試合に出場して31得点と大暴れした。翌年、やはり当時J2の川崎フロンターレへ移籍すると、18試合で19得点を挙げた。2001年からは浦和レッズでプレーし、2003年にJリーグMVPに輝き、2004年には26試合で27得点をあげて得点王となった。ゴールを量産してチームに貢献する一方、日本でも練習への遅刻などの不品行でクラブ関係者を悩ませた。

 2005年8月にカタールのアル・サッドへ移籍し、ここでも期待に応えた。しかし、2006年、身分証明書とパスポートの偽造が発覚して逮捕される。高額の保釈金を支払い、社会福祉活動をすることで実刑を免れた。

 カタールサッカー協会からの要請で2008年初めにカタール国籍を取得し、3月に行なわれた2010年W杯アジア3次予選のイラク戦に出場する。しかし、かつてブラジルU-20代表の試合に出場したこととパスポートを偽造したことを理由に、以後、FIFAは彼がカタール代表でプレーすることを禁じた。

 2009年にブラジルへ帰国すると、子供の頃からの憧れのクラブだったフラメンゴへ入団。貴重なゴールを決めてサポーターから愛され、中東帰りであることから「シェイキ」(アラビア語で「首長」を意味する「シェイク」のポルトガル語読み)というニックネームを付けられた。以後、彼のフットボール・ネームは「エメルソン・シェイキ」となった。

 その後、アルアイン(UAE)を経てフルミネンセへ移籍したが、2011年4月、練習へ向かうチームバスの中で、フルミネンセの宿敵フラメンゴのサポーターの間で流行していた歌を口ずさんでクラブ関係者を激怒させ、解雇されてしまう。

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