アヤックスを救えなかった「現代サッカーの創始者」

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

【サイモン・クーパーのフットボールオンライン】ヨハン・クライフの落日(後編)

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 バルセロナで不満をため込んだヨハン・クライフは、2011年にアヤックスの「乗っ取り」に着手した。クラブの理事たちは「オランダ・フットボールの父」と、彼の機嫌をとるメディアに抵抗できなかった。クライフはアヤックスの中枢に、自分に代わってクラブを動かす元オランダ代表選手の一団を送り込んだ。

シャビ(左)と記念撮影に応じるヨハン・クライフ(MarcaMedia/AFLO)シャビ(左)と記念撮影に応じるヨハン・クライフ(MarcaMedia/AFLO) 監督の座には、すでにフランク・デ・ブールがいた。マルク・オーフェルマルスとエドウィン・ファン・デル・サールが理事になり、デニス・ベルカンプとビム・ヨンクが育成システムを担当することになった。アヤックスは美しいフットボールをして、再びチャンピオンズリーグを制するべきだと、クライフは言った。

 この目標は実現しなかった。確かにアヤックスは2013~14シーズンまでリーグタイトルを4季連続で獲得した(連覇はクライフが元代表選手たちを送り込んだ直後に始まった)。だが最近、オランダリーグは世界で重要視されなくなった。チャンピオンズリーグでアヤックスは、毎年のように屈辱を味わっている。チーム力は落ち、昨季はリーグでも2位に甘んじ、選手たちがブーイングを浴びながらピッチを去ることも多かった。

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