スティーブン・ジェラードがやり残した「最後の大仕事」 (2ページ目)

  • 中山淳●文 text by Nakayama Atsushi  photo by AFLO

 自分を育ててくれた恩師ウリエがチームを去ることになった2004年の夏、リバプール・アカデミー(下部組織)時代からの仲間で、ともに10代でデビューしてセンセーションを巻き起こしたマイケル・オーウェンがレアル・マドリードへと移籍。するとジェラードには、シーズン途中からジョゼ・モウリーニョ新監督率いるチェルシーからオファーが届いた。

 しかし、一度は移籍を決意するものの、悩んだ挙句にシーズン終了後、契約延長に合意。地元リバプール出身で、父親ゆずりのリバプールファンだったジェラードは、もともと契約延長を希望していただけに、「もう移籍騒動はこりごり」と語り、リバプール一筋を改めて誓ったのである。劇的なチャンピオンズリーグ優勝(2005年)の後に下したこの決断により、サポーターの愛情がさらに深いものへと発展したことは言うまでもない。

 いずれにしても、これまで歩んできた栄光と挫折の道のりを振り返れば、ジェラードがクラブ史上屈指のレジェンドであることがよく分かる。

 1998-1999シーズンにトップデビューして以来、公式戦690試合以上に出場し、180ゴール以上を記録。当時はまだ低迷期にあったリバプールも、アカデミー出身のジェラードとオーウェンが若くして頭角を現し始めたころから、クラブの歴史は明転した。

 2000-2001シーズンはUEFAカップ(ヨーロッパリーグの前身)、FAカップ、リーグカップの3冠を獲得。リバプールの新時代到来を予感させると、ウリエ監督の後を継いだラファエル・ベニテス体制初年度の2004-2005シーズンには、1983-1984シーズン以来となるクラブ通算5回目(チャンピオンズカップ時代含む)のチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。

 とりわけ、決勝戦のACミラン戦は「イスタンブールの奇跡」として、今も世界中のサッカーファンの間で語り継がれる名勝負だった。3点のビハインドを背負って意気消沈するチームを目覚めさせるヘディングシュートを決めた後、チームメイトやスタンドのサポーターに向かって両腕を大きく振って反撃ムードをあおったジェラードの姿は、多くのファンの脳裏に焼き付いている。

 キャプテンとしてビッグイヤーを掲げたその夜こそ、まさしくジェラードとリバプールにとって、栄光の瞬間だったと言える。

 逆に、縁がないのがプレミアリーグのタイトルだ。これまで数々のタイトルに輝いたジェラードも、いまだにリーグ優勝だけには手が届いていない。健闘空しく2位で終わったシーズンは過去3度あるが、中でも優勝目前のところで天国から地獄へと突き落とされた昨シーズンの出来事は、その縁のなさを象徴するものだったと言える。

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