ルーキー時代のメッシが語っていた独特のアルゼンチン愛 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Getty Images

 メッシは根っからのアルゼンチン人で、そのライフスタイルを崩しておらず、"アルゼンチン人として戦いたい"という強烈な思いを抱いていた。それを愛国主義、ナショナリズムとすると、なにか違う。彼は国を愛することを教わる前に、イデオロギーと関係なく、どうしよもなくアルゼンチンを愛していたのだった。

「アルゼンチン代表のユニフォームを着る機会があれば、どんなことをしてもプレイをする。そして、何があっても負けてはならない」

 メッシはそんなことを言っていたものだ。2008年の北京五輪で、メッシはアルゼンチン代表として優勝したが、志願の出場だった。当時バルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督は大会に参加させず、リーグ戦に向けて集中させることもできたはずだが、「代表に行かせないという選択肢の方が難しい」と、その猛々しいほどの意志に負けたという。

 ブラジルW杯に向け、メッシは「バルサでのプレイをセーブしている」と指摘されることが少なくなかった。本人はそれを真っ向から否定しているし、そんなつもりはなかったはずだ。バルサの不調は彼一人の不振のせいではなかった。

 しかしメッシがW杯に懸けていたことは間違いない。

 思い返せば南アフリカW杯、ディエゴ・マラドーナ監督の無策もあって、メッシとアルゼンチンは敗れるべくして敗れた。メッシにとって、これほどの屈辱はなかった。アルゼンチンのユニフォームを着ながら、W杯という舞台で無残に負けたのだ。

 ルーキーの頃と比べ、メッシはインタビューに慣れた。しかし、今も彼のインタビュー記事を読んでいて、心が踊ることや感心させられること、そして感動させられることはない。ただ、恥ずかしがらなくなったというだけのことだろう。誤解を恐れずに言えば、人間的な魅力は乏しい。だが、メッシにとって人間性などどうでもいいはずだ。

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