ブーイングに自滅?D・コスタはなぜスペインを選んだか (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

「ただ、スペインはフットボーラーとしての私に全てを与えてくれた。素直に、リスペクトされているな、と感じたんだ。そもそも、デルボスケは自分を代表に招集してくれたしね。考え、悩んだ末の決断だった」

 世界王者スペインはオランダに1-5の完敗。スタジアムは激しい夕立に見舞われ、彼の決定を糾弾するかのような雨が煙を上げていた――。

 ブラジル人フットボーラーにとって、セレソンに選ばれるだけが真理ではない。

「国外で一旗を揚げる」というのも一つの夢である。日本も含め、世界中で帰化をしたブラジル人選手が代表としてプレイしている。スペインでも過去に、ドナト、カターニャ、マルコス・セナらが、代表の主力を担った。

「ブラジル人選手はね、一度国を出たら戻らない覚悟でプレイを続けるのさ。セレソンは本当に限られた選手だけの存在。だから、その国で評価を受ければ愛着が湧く。チャンスをもらって成長できたら、恩を返したい気持ちにもなるんだ」

 かつてスペイン代表FWカターニャがその心境を語っていたように、身を埋める覚悟がなければ、異国で成功を収めることはできないのだろう。彼は若くしてポルトガルのクラブに渡って以来、スペイン2部、スペイン1部と着実に階段を上っていった。かつての宗主国、ポルトガルは、ブラジル人にとって"欧州の門"となってきた。

 ジエゴ・コスタも、その門をくぐった一人だ。
 
 彼は18歳の時にポルトガルのブラガと契約したが、実際にプレイしたのは期限付き移籍した2部のクラブだった。決して器用な選手ではないが、精力的なディフェンス、ポストプレイ、フリーランニングを続けた。スペインの2部のクラブをいくつか渡り歩くも、目立つ存在ではなかった。2010年W杯の時は、スペイン1部のバジャドリードでプレイして8得点を挙げるも、チームは2部に降格している。世界的にはまだ無名だった。

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