ファーガソンとモイーズ。マンU新旧監督の共通点と相違点

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

マンチェスター・ユナイテッドの今季ホーム最終戦終了後、ピッチに登場したアレックス・ファーガソン(photo by Getty Images)マンチェスター・ユナイテッドの今季ホーム最終戦終了後、ピッチに登場したアレックス・ファーガソン(photo by Getty Images)【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】ファーガソンの勇退(後編)

 アレックス・ファーガソンは静かな監督だった。マンチェスター・ユナイテッドで起きた事件(たとえばエリック・カントナがクリスタル・パレスのファンにカンフーキックを見舞ったり、ファーガソンが蹴飛ばした靴がデイビッド・ベッカムの顔に当たったり)に国中が大騒ぎしても、彼は自分のやり方を変えなかった。騒ぎはいつか収まることを、ファーガソンは知っていた。彼の目はもっと先を見据えていた。

 ファーガソンがときに絶頂期にある選手を放出したのも、先を見据えていたからだ。たとえば2003年にはデイビッド・ベッカムを2450万ポンド(当時のレートで約48億円)で売り、10代の無名のポルトガル人選手クリスティアーノ・ロナウドをその半分ほどの額で獲得した。リスクの大きい賭けにみえたが、後にすばらしい判断だったことがわかる。今はレアル・マドリードでプレイするクリスティアーノ・ロナウドは、世界でも指折りの選手に成長した。

 翌2004年には、2年分の選手獲得予算をつぎ込んで、まだ10代だったウェイン・ルーニーを獲得した。ルーニーがすぐに大活躍できるわけではないことは承知のうえだった。ルーニーとクリスティアーノ・ロナウドのチームを育てる間、ファーガソンは3シーズンにわたってリーグを制覇できなかった。それでも自分がクビにはならないことを彼は知っていた。それまでの成功があったから、ファーガソンは長期的な視点で考える自由を手にしていた。

 物事を長期的に考えるファーガソンは、自らの引き際と後継者についても考えていただろう。エバートンの監督を11年務め、来シーズンからユナイテッドの指揮をとるデイビッド・モイーズが、ファーガソンと同じスコットランドのグラスゴーの出身であることは偶然ではない。ファーガソンは1941年の大みそかにグラスゴーのゴバン地区で生まれた。ゴバンに住む男たちがたいてい造船所で働いていた時代だ。

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