【フランス】ドメネク前監督が暴露したフランス代表の内幕 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 ドメネクが引き継いだチームは、長いこと選手たち自身が動かしてきた。1998年のワールドカップと2000年の欧州選手権を制したチームでは、規律を乱した選手がいると、お目付け役のローラン・ブランがパンチを見舞っていた(2010年、ブランはドメネクの後の代表監督となった)。

 ドメネクは選手たちから権力を奪おうとした。誰の助言も聞こうとせず、選手と仲のいい医師や理学療法士はチームから追放した。2006年のワールドカップでキャプテンだったジダンがドメネクにこう言ったのも当然だった。「僕はキャプテンとして役に立っていないように思う。チームはどうなっているんだとみんな僕に聞くけれど、答えられないんだ」

 2006年大会は滑り出しこそ冴えなかったものの、ジダンはフランス代表をイタリアとの決勝にまで導いた。ところがベルリンで行なわれた決勝で、ジダンはイタリアのマルコ・マテラッツィに頭突きを食らわせて退場処分となる。延長の末のPK戦で、フランスは敗れた。

 よく内輪話を公にしてフットボール界のタブーを破ってきたドメネクは、この試合の後のロッカールームの様子も本に書いている。ドメネクはすでに引退を決めていたジダンを称えるスピーチをして、キャプテンに拍手を贈ろうと他の選手たちに言った。

「聞こえてきたのは舌打ちだけだった」と、ドメネクは書いている。「私の拍手にすぐに続いた者はいなかった。一部の選手はキャプテンを憎んでいた」。みすみす勝利を逃すようなまねをしたジダンを、彼らは許せなかったのだ。それはドメネクも同じだったかもしれない。

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