川勝良一が振り返る大学時代の木村和司 日本代表では「かなり年上のベテランが遠慮している雰囲気があった」 (2ページ目)
川勝が「昔だったら、遠征中や合宿中もよく飲んでいた」と語るように、かつては日本代表や全日本学生選抜の活動中に、酒を飲むことも珍しくなかった。
なかでも、川勝が「繊細なとこもあるけど、まあ豪快ですよ」と評する木村は、かなりの酒豪だったという。
とはいえ、木村は酒を飲んでも「ずっとおんなじ。別に人に気を遣う性格でもないし」とは、川勝の回想。酒が入ると人が変わるようなタイプではなかった。
というより、酒の力など借りずとも、言いたいことを言えた木村は、それがたとえ先輩相手であろうと、変わることがなかったのだろう。
「だから、初めて代表(A代表)に入ったときはふたりとも大学生で、オレなんかは、落合(弘)さんとか、清雲(栄純)さんとか、かなり年上の先輩に気を遣ってたけど、アイツはあんま遣ってなかった。(同じく大学生だった)金田(喜稔)さんは要領いいから人間関係もうまく回してたけど、和司の場合、嫌(なもの)は嫌。そういうことも結構はっきり言うしね。だから逆に、上の人が(木村に)気を遣うというか、34、35歳ぐらいのベテランの人が、20歳ぐらいの大学生に遠慮してるみたいな雰囲気もあった」
川勝が「でも、和司は試合に出てたし、なんだかんだ言っても、スポーツはやっぱり力を持ってる人が、ね」と語るように、若い木村が日本代表でもそれなりの影響力を持っていたのは、相応の実力を備えていたからに他ならない。
だから、「(木村は先輩に)あんまり遠慮することもなかった」。というより、「逆に下手だと思ってたと思う。和司は上の人のことを」と、川勝は率直な見立てを口にする。
「オレらよりひと回り上の人って、やっぱり技術的には昭和のサッカー。オレらはちょうど(高校生の頃にテレビで)ワールドカップでブラジルとかの代表クラスを見てたし、(ヨハン・)クライフとかも見てたし。その後、(日本代表でボカ・ジュニアーズのディエゴ・)マラドーナともやってるんで、ちょうど技術的にグッと変わってきた時代だったから」
木村だけではない。川勝自身、「代表の常連だったベテランの人たちを見ても、『ああ、あんまりうまくないんだ』って。実際に一緒にやってみると、『テレビで見てたのと違うんだ』って、オレも思った」という。
「まだ大学生だったけど、和司とか、金田さんのほうが速かったし、技術的にも全然うまかったと思います」
(文中敬称略/つづく)
木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。
川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。
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