【Jリーグ】ACLの戦いでやはり気になる助っ人外国人の存在 日本でもワールドクラスがプレーする時代があった (3ページ目)
【日本の豪華助っ人外国人時代】
しかし、かつては日本のクラブにワールドクラスの助っ人外国人が多数在籍していた時代もあった。Jリーグが発足した1990年代の話である。
初期のJリーグには1986年メキシコW杯出場のガリー・リネカー(名古屋グランパスエイト=イングランド)をはじめ、1990年イタリアW杯出場のサルヴァトーレ・スキラッチ(ジュビロ磐田=イタリア)、1994年アメリカW杯出場のフリスト・ストイチコフ(柏レイソル=ブルガリア)とW杯の歴代得点王がプレーしていた。
リネカーは、名古屋ではわずか4ゴールと期待を裏切ったが、スキラッチは磐田で4年間プレーして、56ゴールを決めている。
さらに、初期のJリーグで大きな足跡を残したのがブラジルの代表クラスの選手たちだ。
1994年にアメリカで開催されたW杯でPK戦の末にイタリアを下して優勝したブラジル代表選手の多くが、翌シーズン以降Jリーグのクラブに移籍して大活躍している。
セレソンのキャプテンとしてパサデナのローズボウルでW杯トロフィーを掲げたドゥンガはジュビロ磐田に入団し、チームに勝利への貪欲さを植え付けて、のちの磐田黄金時代の基礎を築いた。
また、ジョルジーニョとレオナルドが入団した鹿島アントラーズとジーニョやセザール・サンパイオ(1998年フランスW杯出場)がいた横浜フリューゲルス(のちに横浜マリノスと合併)の試合は、いつもブラジル代表同士の意地の張り合いがあって、激しくもハイレベルな戦いが繰り広げられ、当時のJリーグの看板カードのひとつだった。
これだけのビッグネームを揃えることができたのは、当時の日本のクラブの豊富な資金力のおかげだった。
なにしろ、1990年代の日本はアメリカに次ぐ世界第2の経済大国で、その日本経済を牽引するトヨタ自動車や日産自動車、松下電器(現パナソニック)といった大企業をバックに成立したのがJリーグだった。
一方、欧州のリーグは1990年代半ば以降、有料テレビの放映権料が流入して収入が急拡大し、中東やロシアなど資源で潤う国の投資も流入して財政力が急拡大するのだが、Jリーグが発足したのは、その直前の時期だった。
欧州のなかで最大の資金力を持っていたのは、大企業や大富豪がバックに付いたセリエAのユベントスやミラン、インテルなど。各国の代表クラスを集めたイタリア勢が欧州カップ戦で覇を競い合っていた。
したがって、当時のJリーグクラブは欧州クラブと競り合って、ブラジル代表のようなビッグネームを集めることができたのだ。
それから30年が経過。日本のGDPは中国やドイツ、インドに抜かれて5位に転落。Jリーグには、様々な事情から海外からの投資もほとんど入ってこない。
これから、日本のサッカーをさらに発展強化していくためには、財政力も必要になる。現在の日本のクラブに、もし欧州、南米の代表クラスの選手を数人加えることができれば、サウジアラビアのクラブをアウェーの地で倒すのも難しいことではなくなる。
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