【Jリーグ】ポンテは浦和レッズ優勝のラストピースだった キャリアの絶頂期を捧げたクラブ歴代最高のブラジル人 (3ページ目)
【2007年にはリーグMVPを受賞】
翌2007年は、アジアを舞台に輝きを放つ。
クラブにとって初出場となったAFCチャンピオンズリーグで、グループステージから得点を記録する。アウェーで価値あるゴールを立て続けにゲットした。セパハン(イラン)とのファイナルでも、敵地での第1戦で貴重なアウェーゴールを叩き出した。JリーグのクラブがACLを制覇するのは、レッズが初めてのことだった。
J1リーグでは7ゴール12アシストをマークし、GK都築龍太、闘莉王、MF阿部勇樹、MF鈴木啓太とともにベストイレブンに選出された。ポンテはMVPにも輝いている。レッズは最終節の敗戦で連覇を逃したが、リーグ戦でも強烈なインパクトを残したのだった。
加入4シーズン目の2008年は、16試合出場で1得点に止まった。2007年のJ1リーグ最終節で左ひざを負傷し、長期の離脱を強いられたからだった。
長期離脱後の選手は、身体のバランスを取り戻すのに苦労する。ケガをした箇所を知らず知らずのうちにかばってしまい、逆足に負担がかかってしまうのだ。大小のケガを繰り返し、トップフォーム取り戻すことができない、というケースもある。
2008年のポンテは、すでに32歳である。ケガ明けのコンディション回復や維持向上が、難しくなりつつある年齢だった。
2009年に28試合出場で4得点に終わったポンテは、翌2010年に半年間の契約を結んだ。半年しか契約期間を与えられなかった、というのが現実である。
シビアな現実を突きつけられ、彼自身も「チームの扱いに失望している」と話したが、2010年シーズンの前半戦で自らの価値を証明する。シーズン終了までのオファーを受けてサインし、最終的に29試合出場で9ゴールをマークした。シーズン終盤の11月には34歳となったが、健在ぶりを示してチームを去ったのだった。
ポンテが去った2010年以降も、レッズには多くの外国人選手がやってきた。クラブのフロントが連れてきた選手がいて、Jリーグの他クラブから獲得した選手がいる。エジミウソンやマルシオ・リシャルデス、マテウス・サヴィオやズラタンは、ポンテを上回るJ1リーグ出場試合数を記録している。しかし浦和での稼働試合数では、ポンテが今なお歴代最多である。
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