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【Jリーグ】ポンテは浦和レッズ優勝のラストピースだった キャリアの絶頂期を捧げたクラブ歴代最高のブラジル人 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【レッズ初のJ1リーグ優勝に貢献】

 攻撃で違いを生み出すだけでなく、チームの一員として守備にも汗を流す。ドイツで培われた献身性があったからこそ、指揮官ブッフバルトは彼を迎え入れ、未知なるJリーグにフィットしていったのだった。

 ちなみに、レバークーゼンでともに過ごしたフランサは、ドイツでプレーしても守備に関心を示さなかった。同じブラジル人でも、サッカーとの向き合い方は人それぞれといったところか。

 ポンテは2005年シーズン途中にレッズへやってきた。ブラジル人ストライカーのエメルソンがカタールのクラブへ移籍したことなどから、クロアチア人のFWトミスラフ・マリッチとともに8月に加入した。

 リーグカップで公式戦デビューを飾り、直後のFC東京戦でJ1リーグにデビューした。2-1の勝利を呼び込む決勝弾を突き刺し、ブッフバルト監督とチームメイト、それにサポーターのハートをいきなり鷲づかみにした。ポンテは16試合出場で8得点を記録し、最終節までリーグ優勝を争うチームを田中マルクス闘莉王らと牽引した。

 2006年は3-5-2システムの2トップやトップ下で起用され、チームに初のJ1リーグ制覇をもたらしている。22試合出場で4ゴールは物足りない数字だったが、優勝を決めた最終節のガンバ大阪戦で大きな仕事をやってのけた。

 0-1で迎えた27分、右サイドから抜け出してゴール左隅へ流し込んだ。さらに44分、右サイドで宮本恒靖と対峙しながら、わずかなコースを突いてゴール前へクロスを入れる。これをワシントンが右足で蹴り込んだ。

 2点差以内なら、負けても優勝を決められる一戦だった。それでも、ホームの埼玉スタジアムは6万2千人を超える大観衆で埋め尽くされている。ポンテも「最高の雰囲気が私たちを後押ししてくれた。『勝って優勝するんだ』と誰もが思っていた」と話した。レッズは3-2で勝利し、真っ赤な歓喜が爆発したのだった。

 ブラジルの同胞ワシントンは、26ゴールで得点王に輝いた。ワシントンはポンテの存在に触れ、「彼は技術が際立って高く、決定的なチャンスを生み出せる。私たちはお互いを理解して、いい関係を築くことができた」と、その存在価値を明かした。

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