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日本対ブラジルはフットサルもすごかった ベテランライターが思い出す約40年前の国際試合 セルジオ越後やラモス瑠偉が出場 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【サッカーとフットサルが融合するブラジル】

 ブラジルでは子どもたちはフットサルとサッカーの両方を経験し、かなり高い年齢までふたつのフットボールをプレーする場合が多いと聞いた。

 プレーのスケール感の違いは、そんな11人制のサッカーの競技経験によるものなのかもしれない。

 一方、ブラジルのサッカー選手の多くもフットサルを経験している。

 たとえば、先日のサッカーの日本との対戦で、ブラジルは前半のうちに2ゴールを決めた。いずれもバイタルエリアあたりで2、3人がローテーションしながら短いパスを回し、タイミングを見てそのうちのひとりが裏(つまりボックス内)に走り込み、そこに正確なパスを合わす形だった。

 見ていて、どこかフットサル的な匂いがした。

 日本でも、サッカーとフットサルの両方を(高いレベルで)経験した選手が現われたら、ブラジルとの距離は縮まるかもしれない。

 いずれにしても、ブラジルから学ぶことは多そうだ。日本のフットサルはこれまでもずっとブラジルに学んできたのだが......。

 たとえば、僕が「室内サッカー」(まだ、「フットサル」としての統一ルールが確立されていない時代)を初めて見たのも、1982年に東京の日本武道館で行なわれた「国際サロンフットボール大会」。ブラジル・サンパウロの名門パルメイラスを招いての国際試合だった。

 室内サッカーは1936年に「インドアフットボール」としてウルグアイで始まり、その後ブラジルで「フッチボール・ジ・サロン」として発展したと言われている。その他、欧州でも室内サッカーは行なわれていたが、使用するボールも、ルールや名称も各国でばらばらだった。

 その後、「国際連盟」が結成されたが、FIFAと間でのさまざまな確執があり、「フットサル」という名称で統一されてFIFA傘下で世界選手権(現フットサルW杯)が開催されるようになったのは1990年代になってからのことだった。

 日本では、ブラジルで「フッチボール・ジ・サロン」に慣れ親しんだ海老沢亮神父が帰国した後、北海道YMCA主事となって室内サッカーを取り入れ、その後札幌大学の柴田昂先生が引き継ぐ形でブラジル人留学生を招くなどして盛んになった。

 冬の間、屋外でサッカーをするのが困難な札幌では、フットサルは冬季のスポーツとしてうってつけだったのだ。

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