【部活やろうぜ!】元サッカー日本代表DF森重真人の広島皆実高での日々 「地元で全国を目指せるところに決めました」 (3ページ目)
【部活の記憶にネガティブなものはほとんどない】
冗談を交えながらも淡々と話す彼の9学年上の筆者の時代には、なにかと理由をつけて頭を刈られたりしたこともあった。そういうのもまだ残っていたのだろうか。
「ありましたね。テストの点が悪かったり、同級生が問題を起こしたり、大会で優勝できなかったりしたら、頭を丸めなければいけなかったり。でも、僕はことごとく免れてきたので、一度も坊主にはならなかった。授業中に寝ていたけど、赤点は取ったことがないし、同じ学年にそういうことを起こす人がいなかったので、連帯責任もなかったですね。他の学年はあったと思いますけど」
ただし、かつての部活について語られることの多い、不条理な出来事はそれくらいだった。水を飲ませてもらえなかったことは一度もなく、しごき的なメニューといえば、学校の外周をひたすら走らされたことぐらいしか思い出せない。
「外周はきつかったですね。ショートカットしたり、休んだりはしていましたけど(笑)。監督は厳しい方でしたけど、注意されるのは、服装や挨拶や練習態度なんかが悪かった時だけで。夏の合宿なんかも、たぶんきつかったと思うんですけど、あんまり覚えてないんですよね」
古い記憶には、欠落している部分があって当然だろう。ただ森重の場合、自分の目標に向けてやるべきことに集中していたからなのか、あるいは瑣末なことを気にしない性格だからなのか、そこにはネガティブな感情がなかったように見える。
1年生の最初からAチームでボランチのレギュラーを張っていた彼にとって、部活は初めから充実した日々の一部だったようだ。帰り道や部室の思い出は、「あんまり人には言えないこともある(笑)」楽しいものだったという──。
(文中敬称略)
森重真人(もりしげ・まさと)
1987年5月21日生まれ、広島県広島市出身。サンフレッチェ広島ジュニアユースからユースには上がれず、広島皆実高へ。1年生時から中盤のレギュラーとなり、全国高校サッカー選手権に出場し、3回戦で国見に敗れた。2、3年の時は県大会の決勝で敗退するも、高卒で大分トリニータに入団。シャムスカ監督のもと、センターバックの定位置を掴み、2008年のJリーグカップを制した。2010年にFC東京に移籍し、2011年の天皇杯、2020年のJリーグカップ優勝に貢献。日本代表では41試合に出場し、2得点を記録している。
著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。
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