「高校に入ったらサッカー部がなかったっていう話で大丈夫?」 岡野雅行に聞いた「部活やろうぜ!」 (2ページ目)
それでも、僕自身はサッカーが好きだったし、高校に入ってもサッカーをやりたかった。だって、選手権(全国高校サッカー選手権大会)には出てみたいじゃないですか。まだプロがなかった時代に、サッカーをやっていて夢は何かと聞かれれば、もう選手権しかなかったんですから。
だから、強い高校に行きたかったけど、僕は神奈川県の強豪校には入れなかった。
それならばと、サッカー留学でブラジルに行きたいなと考えたりもしたけれど、僕はひとりっ子だったので、両親が「おまえがブラジルなんかに行って、絶対にひとりで生きていけるわけがない」と猛反対。
そんなとき、たまたま親戚の叔父さんが「島根県にすばらしい高校があるよ」と教えてくれたんです。全寮制の高校だから、ひとりでも心配ないし、何より島根県は神奈川県と比べて高校の数が少ないから、たぶん選手権にも出やすいはずだ、と。
寮生活なら、掃除や洗濯なども自分でやらなければいけないし、ブラジルへ行くにしても、そういう経験をしてからでもいいんじゃないか、と両親も納得してくれました。
そうして僕が行くことになったのが、松江日本大学高校(現・立正大学淞南高校)でした。
ところが、実際に高校に入ってみたら、サッカー部がない!
それどころか、生徒はヤンキーだらけ。今は真っ当な高校なんですが、当時は明らかに普通の学校とは様子が違って......。それというのも、うちの高校は、漫画『魁‼男塾』(作者:宮下あきら/集英社)のモデルだと言われるくらいで、全国から選りすぐりのヤンキーが集まる"超エリート校"だったんです。
単行本『魁‼男塾』の第1巻を見てみてください。そこに男塾の校則が出てくるんですけど、あれ、まさにうちの高校のルールですからね。英語禁止とか。
年度のはじめに何人ぐらいの生徒が入るのかわかりませんけど、もう半分以上はやめていきます。夜中に寮から脱走するんですよ。
親戚の叔父さんが「すばらしい学校」だと言っていたのは、うちの高校がそうしたヤンキーたちを更生させる学校だったから。生徒が道を歩いているときに、一般の自動車に向かって「おはようございます!」って言いながら、3秒くらい頭を下げる(それが学校の規則でした)のを見たからなんです。
でも、素行は超悪い。
僕は入学式に行って、すぐに「ヤバッ! なんだ、ここは?」と怖くなりました。
岡野雅行(おかの・まさゆき)
1972年7月25日生まれ。神奈川県出身。松江日大高を卒業後、日本大学に進学。1994年、大学を中退し浦和レッズ入り。快速FWとして1年目から活躍。1995年には日本代表に選出され、1997年のW杯予選アジア第3代表決定戦ではVゴールを決めて日本を初のW杯出場に導いた。1998年フランスW杯では第2戦のクロアチア戦で途中出場。その後も浦和で奮闘し、2001年にヴィッセル神戸に期限付き移籍。2002年に完全移籍したあと、2004年には完全移籍で浦和に復帰。2009年2月には香港リーグの天水圍飛馬に移籍し、同年8月には当時JFLのガイナーレ鳥取に移籍した。2013シーズンを最後に現役引退。以降、同クラブのゼネラルマネジャー、代表取締役GMなどを歴任し、2024年12月に南葛SC事業本部長に就任。2025年1月には古巣・浦和のブランドアンバサダーにも就任した。
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