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【Jリーグ】オランダ代表の10番がなぜ日本へ? ジュビロ黄金時代の土台を作ったファネンブルグの影響力 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【ブラジル人のようなテクニック】

 それまで所属していたPSVとは、60歳までの終身契約(!)を結んでいた。破格の厚遇を破棄し、ファネンブルグはJFLからJリーグへの昇格を目指す磐田にやってきたのだ。

「日本に来たことで契約はなくなったけれど、それについて後悔するようなことはない。PSVでも、その前に所属したアヤックスでも、たくさんのタイトルをつかむことができた。

 Jリーグができてヨーロッパからも多くの選手が日本へ行っていると聞いていたし、監督のオフトともいろいろな話をした。それで、それまでとは違うサッカーに挑戦しようと思ったんだ」

 オランダでは「ジェラルジーニョ」と呼ばれていた。ブラジル人のようなテクニックを持つことが、その理由だった。

「1対1で相手を抜くのは、僕の特徴のひとつだと思っている」

 身長は172cmで、スピードが長所でもない。ただ、日本で「ジェラ」と呼ばれたこのオランダ人のすごみは、体重移動とステップワークにあった。

 少しさらし気味にボールを置いて、相手が足を出した瞬間に逆を取る。右足のひざ下を細かく動かし、左右どちらにも持ち出せるような動きが、相対する相手を翻弄した。「スルリ」と音がするように抜き去った。

 抜き去るだけではない。相手を抜ききらずにクロスを入れる技術も長けていた。ライナー性、グラウンダー、放物線と軌道を使い分けることで、DFが足を延ばしても届かないのである。

 国内デビュー戦は1993年9月のナビスコカップ。「まだコンディションは整っていなかったけれど」と話しつつも、いきなりゴールを決めた。翌週のナビスコカップでもネットを揺らした。

 磐田がJリーグに昇格した1994年は、43試合に出場して8ゴールを決めた。シュートレンジが広く、利き足の右足はもちろん、左足でもゴールを決めた。ミドルレンジからの豪快なシュートがあれば、ゴールへパスをするようなコントロールショットもあった。

 J初ゴールは右足のスーパーミドルである。紛れもなくワールドクラスの一撃だった。

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