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【Jリーグ】中田英寿にも影響を与えたベッチーニョは「プロフェッショナルとは何か」を体現していた (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【サポーターから絶大な支持】

「ベルマーレは若い選手の多いチームで、来日した当初は勝負への執着心とか練習に取り組む姿勢に改善の余地があると感じていた。Jリーグ入りを目指していたけれど、まだプロではなかったから、それは仕方がなかったのかもしれない。

 僕にできることは、プロフェッショナルとしての姿勢を見せること。チームの練習が終わったあとに(個人で)シュート練習をやったり、試合に負けたあとのロッカールームやバスでは、悔しさを隠さずに表現していきました」

 チームが、変わっていく。「プロフェッショナルとは何か」が、日本人選手の間に浸透していった。

「そうやっていくうちに、練習後に一緒にシュート練習をする選手が出てきて、試合後のロッカーで悔し泣きをする選手も出てきました。1994年のJリーグが終わったあと、天皇杯で優勝したのは、チームが変わってきたことの表われだったと思いますね」

 1995年はリーグ戦52試合のうち50試合に出場し、25ゴールを叩き出した。日本人ストライカーの野口幸司も23得点を記録している。自ら取って、チームメイトに取らせて、ベルマーレの攻撃を支えた。

 ベットがプレーしたベルマーレは、日本代表選手を多く輩出した。

 GK小島伸幸、CB名塚善寛、右SB名良橋晃、左SBと左MFを兼務した岩本輝雄、ボランチの田坂和昭、トップ下の中田英寿、FWの野口......。

 1994年と1995年は2トップの一角で、1996年は主にトップ下で攻撃を支えたベットがいたことで、ベルマーレの日本人選手は伸び伸びと、それでいてプロフェッショナルとしてのメンタリティを磨いていくことができた。ヘッドコーチのニカノールが「湘南の暴れん坊」の気質を叩き込み、ベットがピッチ上でどう振る舞うべきかを落とし込んでいったのだろう。

 ふだんの彼は心優しいブラジル人で、ピッチ上では妥協を許さないフットボーラーだった。チームメイトからも、サポーターからも熱い支持を集めた。

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