【Jリーグ】中田英寿にも影響を与えたベッチーニョは「プロフェッショナルとは何か」を体現していた (4ページ目)
【10番を背負う選手の責任】
ベットは1996年シーズンを最後にベルマーレに別れを告げ、1997年はJリーグ入りを目指す川崎フロンターレで背番号10を背負った。チームは勝ち点1差でJ1昇格を逃したものの、彼自身は得点ランキング3位タイの19ゴールを記録して貫禄を示した。
10番へのこだわりを話したことがある。タイトルのかかった大一番ではなく、シーズン中のある試合後に明かしただけに、その思いが彼の心に深く根づいていることがうかがえた。
「ブラジルで10番を背負う選手は、そのチームのなかで一番技術に優れていて、インテリジェンスがあると思っている。そのぶんだけ、勝敗に対する責任は大きい。チームが負ければ批判されるのは自分だ、といつも思っている。10番を着けている自分を見た人が、『ああ、そうだよな』と納得してくれるようなプレーを見せたいんです」
ベットがプレーしていた1990年代と現在では、サッカーは大きく変わっている。選手に求められるタスクも、チーム戦術も、ルールも。
それでも、2025年のJリーグで、彼を見ることができたらな、と思う。技術は時代を超える。戦術が幅を利かせるなかでも、彼なら違いを見せられるのでは、と思うのだ。
【写真】あの人は今〜1994年Jリーグ得点王「オッツェ」今昔フォトギャラリー
4 / 4