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JリーグとKリーグの違いは何か? 社会の形を反映する日韓両国のプロサッカーリーグ (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【Jリーグの10年前にスタートしたKリーグ】

 1993年のJリーグ開幕のきっかけの一つとなったのは、1985年に行なわれたメキシコW杯最終予選における韓国戦での完敗(1対2、0対1)だった。

 当時の日本代表の森孝慈監督(故人)は韓国の金正男(キム・ジョンナム)監督と学生時代から親交があったので、同監督を通じて両国のプレー環境の違いを知り、プロ化の必要性を痛感したという。

 実業団が中心の日本サッカーリーグ(JSL)の人気が低迷していたこともあって、1988年には「活性化委員会」が発足。1991年7月に「日本プロサッカーリーグ(愛称「Jリーグ」)創設」が発表され、1993年に開幕を迎えた。

 つまり、Jリーグは5年ほどの歳月を費やし、欧州や米国のプロスポーツを現地調査するなど周到な準備を経て発足した。そして、世界第2位の経済大国だった日本を支える自動車会社や家電メーカーなどの大企業が親会社として名を連ねた。

 また、Jリーグは加盟の条件として独立法人化やユースチームの保有、スタジアムの確保などを要求。こうして、Jリーグは1993年5月に華々しく開幕した。

 日本に先駆けること10年。1983年に韓国では「スーパーリーグ」が開幕していた。だが、当初は加盟5チームのうちプロクラブは「ハレルヤ」と「油公」の2チームだけで、大宇、浦項製鉄、国民銀行の3チームはアマチュアのままでの参加となった。

 韓国では1979年に朴正熙(パク・チョンヒ)大統領暗殺という大事件が起こり、同12月には全斗煥(チョン・ドゥファン)国軍保安司令官が「粛軍クーデター」を起こして権力を掌握。翌年には大統領に就任していた。軍事独裁政権だ。

 若かりし頃はサッカーの名GKだった全斗煥大統領は国民の不満を収める手段としてスポーツを利用しようと考え、野球界とサッカー界にプロ化を要請した。サッカー界は当初「時期尚早」としてプロ化を見送ったが、1982年に開幕したプロ野球の人気を見て、翌年急遽プロ化に踏みきったのだ。

 大韓蹴球協会会長だった崔淳永(チェ・スニョン=財閥「新東亜」会長)は元々プロ化推進論者で、1980年には自ら韓国初のプロチーム「ハレルヤ」を創設していた。キリスト教布教を目的としたクラブで、選手もキリスト教徒。試合前には選手が十字架の形に並んで跪いて祈りを捧げるパフォーマンスを行なっていた(ハレルヤは1985年にはアマチュアに転向し、その後解散)。

 1982年に2番目にプロ化したのが「油公(ユゴン)」だった。

「鮮京(ソンギョン)」財閥(現在は「SK」)が国営大韓石油公社の払い下げを受ける見返りに政府の意向を受けてプロチームを設立。チーム名も石油公社の略称「油公」を使用した。済州(チェジュ)ユナイテッド(今年から済州SK FC)の前身だ。

 韓国プロリーグは、こうして不完全な形でスタート。参加全チームがプロとなったのは1987年のことだった。また、リーグの名称も「韓国プロサッカー選手権大会」、「蹴球大祭典」、「コリアンリーグ」など、ころころと変わった。

 そんな韓国のプロリーグに衝撃を与えたのが、後発のJリーグだった。

 そこで、韓国もJリーグに倣ってホームタウン制を明確化。応援スタイルもそれまでは実業団時代と同じような応援団形式で、ド派手な衣装の応援リーダーやチアリーダーが前に出て「フレー、フレー」とやっていたのが、次第にJリーグ的なサポーター中心の形に変わっていった。そして、1998年には韓国プロサッカー連盟は「Kリーグ」という名称を使うことを決めた。

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