宇賀神友弥はなぜ浦和の監督ではなくGMを目指すのか「自分は名将と言われる存在にはなれない」 (2ページ目)
【優秀なコーチにはなれるかもしれないけど...】
── 15年に及ぶキャリアにおいては、AFCチャンピオンズリーグをはじめ、YBCルヴァンカップや天皇杯と、タイトルを獲った経験もあります。宇賀神選手はいわゆる、タイトルを獲った景色も見ているわけですよね。
「優勝争いや残留争いをしている時には、目に見えないプレッシャーを実際に感じていました。そうした時はチームとして全体的に、自分がいいプレーをしようというよりも、ミスをしたらどうしようという考えや感覚になりがちでした。それによって思いきったプレーができなくなる。そうしたところでの覚悟が足りていなかったから、タイトルが獲れなかったように、今、思います。
カップ戦とは異なり、リーグ戦は1年間の積み重ねが結果として表れるもの。一つひとつ殻を破ることができなかった結果だったのかな、と。もちろん、ほかにもタイトルを獲れなかった理由はたくさんあるとは思いますが、選手として感じていたのは、プレッシャーへの向き合い方だったように思います」
宇賀神友弥が目指す「ファミリー」の理想像とは? photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── 引退セレモニーのスピーチでも、あらためて「今後の夢は浦和レッズのゼネラルマネージャー(GM)になること」と宣言されました。いつ頃から、そうした夢を抱くようになったのでしょうか?
「自分の次のキャリアについて考え始めたのは、ちょうど30歳になったくらいの時でした。それでまずはいろいろと可能性を広げるために、フットサルコートを経営するなどビジネス面でチャレンジしてみることにしました。新しいことにトライすることで、今までの自分が出会っていなかったジャンルの人たちや立場の方と出会う機会にもつながるかな、と。
そのうえで、サッカー選手を引退したあとの自分を想像し、まずは最も多くのサッカー選手が進むであろう指導者になることを考えてみました。その時、優秀なコーチにはなれるかもしれないとは思いました。話をすることは嫌いじゃないし、言語化することも得意だったので。
でも、指導者の最高峰を監督とした時、自分が監督になった姿を再び想像すると、名将と言われる存在にはなれないだろうなと、自分自身で思ってしまったんです」
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