伊東輝悦「悔しかった」日韓W杯メンバー落選 海外クラブ移籍も「ちょっとやってみたかった」 (2ページ目)
【28年ぶりにマイアミの奇跡を見返した】
ボランチとして攻撃的MFと対峙する。相手の心理が読める。駆け引きで先手を打てる。「まあ、何となくね」と伊東は控えめに笑った。
「相手が何をやりたいのかを読んで、先回りして対応したりとか。守備の局面で喜びを感じるようになったかな。攻撃が好きなのは変わらなかったけど、それに対して変なこだわりはなかった」
アトランタ五輪でもボランチで大活躍 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 西野監督のもとで28年ぶりの五輪出場を勝ち取ったチームは、1996年のアトランタ五輪でブラジルを撃破する。「マイアミの奇跡」と呼ばれる世紀のアップセットは、伊東のゴールによって生まれた。
左ウイングバックの路木龍次のアーリークロスに、城彰二が反応する。相手CBと相手GKが交錯し、誰も触れなかったボールがゴール前へこぼれる。無人のゴールへプッシュしたのは、ボランチから飛び出してきた伊東だった。
「やっぱり攻めが好きだったし、アタッカーだったから。その感覚が生きたのかなと思う。自分がもともと守備の選手だったら、あそこまで出ていっているかどうか。パスを当てて顔を上げて、チャンスになりそうだと思ったから走り出した。たぶん、何かが騒いだんですよ」
1996年7月21日の伊東は、ゴールへ向かって転がるボールを無意識にプッシュした。あれから28年が経ち、「ホントに触ってよかった」とうなずく。
「そのおかげで、こうやって今でも取材をしてもらえるわけだから」
記憶のなかにあるブラジル戦は、劣勢のイメージに染まっていた。最近になってフルタイムで見返すと──実は、ほぼ初めてである──違う印象が立ち上がる。
「サンドバッグみたいにやられっぱなしな感じではなかった。最後の15分ぐらいはしのぐ時間帯だったけど、それまでは自分たちがボールを持つ時間もあったし、チャンスもゼロではなかった。ちょっとはできているんだな......と思って」
ナイジェリアとの第2戦は0-2で敗れたものの、ハンガリーとの第3戦は3-2で勝利した。ナイジェリアは金メダル、ブラジルは銅メダルをつかんだのだから、得失点差でのグループステージ敗退は大健闘だったと言える。
「俺自身は世界大会に出たことがなかったから、どれくらいできるのかなという感じで臨んだ。すごくできたとは思わなかったけど、全然できなかったとも思わなかった。やれないことはないな、と」
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