大病も患った細貝萌が振り返る20年間のプロ生活――世界を渡り歩いた彼の支えになっていたものとは? (4ページ目)
そして、だから新たなキャリア――来年2月1日付で群馬の社長代行兼ゼネラルマネージャーに、同4月に正式に代表取締役社長に就任するというチャレンジにも、勇気を持って一歩を踏み出せたという。それは、現役時代には達成できなかった群馬をより高いステージへ導くための決断でもあった。
「選手として、もっとこのクラブのためにたくさんのものを残せたんじゃないか。伝えられることがあったんじゃないか、という思いは今も拭えません。今シーズンに関してはステージを上げるどころかJ3リーグに降格してしまったことにも、最年長選手として大きな責任を感じています。
ただ一方で、選手としての自分にできることはもうないという現実も冷静に受け入れているというか。ホーム最終戦で今シーズン初めて先発のピッチに立ちましたけど、なかなか思うようなプレーができなかった自分を感じて『悔しいけど、やっぱり引退だな』と。ピッチの上でそれを感じられて、逆にスッキリした自分もいました。
また、シーズン終盤に差し掛かった頃から、クラブとはいろんな話をしてきたなかで、クラブから新たな立場でやり残したことを実行に移すチャンスをいただいたので。すごく驚いた反面、やりがいも感じていますし、このクラブに関わるいろんな人と連携しながら、現役時代と同様、一つひとつ課題と向き合って、乗り越えて、現場が少しでもいい方向に進んでいけるように努力していきたいと思います」
そんなふうに新たなキャリアへの決意を口にした彼に、20年もの長い現役生活を支えたものは何だったのかを尋ねてみる。細貝の言葉を借りれば「技術が秀でているわけでもない、体もたいして大きくない、パワーも特別あるわけじゃない自分がこんなにも長くプロとして戦ってこれた」理由について、だ。
しばし考えを巡らせた彼は、意外に思われるかもしれませんが、と前置きしたうえで"情熱"を挙げた。
「僕はあまり感情を表に出すタイプではないし、現役時代、ほとんどそういう言葉を口にすることもなかったですが、サッカーへの情熱だけはずっと誰にも負けていないと自負していました。どの試合も、どのシーンでも、常に負けたくないと思っていたし、そう思って戦い続けることが、自分のストロングポイントだと信じていました」
錚々たる顔ぶれがそろう浦和に身を置いた日々も。ブンデスリーガで100試合を超えるキャリアを積み上げた時間も。試合に出ても出られなくても。病に倒れ、いろんな恐怖に押し潰されそうになった時も。故郷でサッカーをする幸せに触れた時間も。
自分が選んだ人生に責任を持ち、負けるもんかと戦い続けた20年間。サッカー選手として心の奥底で燃やし続けた情熱を誇りに、細貝は愛する故郷で次なる一歩を踏み出す。
(おわり)
細貝萌(ほそがい・はじめ)
1986年6月10日生まれ。群馬県出身。前橋育英高卒業後、浦和レッズに入団。2008年に北京五輪に出場。浦和でも主力として奮闘した。2010年、日本代表入り。同年、ドイツのレバークーゼンに完全移籍し、期限付き移籍先のアウクスブルクでプレー。その後、レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、トルコのブルサスポル、ドイツのシュツットガルト、柏レイソル、タイのブリーラム・ユナイテッド、バンコク・ユナイテッドと渡り歩いて、2021年にザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬)に加入。そして、今シーズンをもって現役引退。来季からは群馬の社長として奔走していく。国際Aマッチ出場30試合、1得点。
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