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大病も患った細貝萌が振り返る20年間のプロ生活――世界を渡り歩いた彼の支えになっていたものとは? (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「SPNに罹患する8割は女性で、部類的には低悪性の腫瘍だと言われていますが、実際に手術をしてみないと、陽性か、陰性かはわからない、と。ましてや、膵臓は沈黙の臓器と呼ばれるほど発見が難しいので、腫瘍が見つかった時には余命を考えるような状態に陥っていることもあると言われて......もう、サッカーどころじゃない、と。

 そこからはバタバタでした。ブリーラムに状況を伝えつつ、どの病院でオペをしたほうがいいのかなど決めなきゃいけないこともたくさんあって......正直、パニック状態でした。もちろん命を第一優先に考えていたので、ドクターには『サッカーをやめたほうがいいならやめます』ということもハッキリ伝えていました」

 その時の腹腔鏡手術によって、今も彼の腹筋周りには6箇所、メスを入れた傷跡が残る。膵臓は11センチを切り取り、脾(ひ)臓はすべて取り除いたという。幸い、術後の病理検査で命に別状はなく、サッカーは続けられることになったものの、入院、検査、手術によって体重は7.5キロほど落ち、筋力を取り戻すのにも時間がかかった。

 ただし、彼がそれらのことを公表したのは、病気の発覚から2年近い時間がすぎてから。タイでのキャリアを終え、ザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬)への加入が決まったあとのことだ。

「病気だけど頑張っています! なんて自分と家族だけがわかっていればいいことだと思っていたので、本来は公表するつもりはなかったんです。ちょうどブリーラムへの移籍のタイミングで、大事に至らなければ数カ月後には復帰できるのもありました。でも群馬への加入が決まり、あるテレビ番組への出演に際してのいろんな話し合いをしていたなかで、『大きな病を乗り越えた経験を明らかにすることで、同じように病気で苦しんでいる人たちを勇気づけられるんじゃないか』という思いに至り、公表を決めました。

 そしたら、思っていた以上にいろんな反響をいただいて......同じ病気で苦しんでいる方や、入院生活が続いている方からもダイレクトメールが届いたりして、いろんな方の思いに触れたことは、僕にとってもプロサッカー選手としての使命を改めて実感することにつながりました」

 話を戻そう。タイでの2シーズンを終えた細貝が、群馬への移籍をする決断に踏み切ったのは、2021年9月だ。そのタイミングで海外からのオファーもいくつか届いていたものの、35歳という年齢も考慮して3年ぶりのJリーグ復帰を決めた。

「ザスパはまだそこまで大きなクラブではないと考えても、たとえば違約金がかかるような状況で獲得してもらうのは正直、難しいだろうということは以前から頭にありました。また、自分の価値を本当の意味で群馬に還元するには、しっかりとピッチで戦力にならなければいけないと思っていたので、このタイミングがベストかもしれないと考えました。

 なので、エージェントには自分から『ザスパに声を掛けてほしい。金額的な交渉はしてもらわなくていい』と伝えたんです。僕自身、群馬でプレーすることに対して、お金には代えられない価値があると考えていました」

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