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大病も患った細貝萌が振り返る20年間のプロ生活――世界を渡り歩いた彼の支えになっていたものとは? (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 実際、細貝は群馬加入に際して、金額的な交渉は一切していない。すぐさま獲得の意思を示してくれたクラブから提示された契約書にサインを書き入れただけだという。ただ、バンコクでのシーズンを終えた時から、次のキャリアに向かうのは『戦える体』を取り戻してからだと考えていたため、合流時期はややずれ込み9月末になった。

「病気から復活してハイペースでリハビリをし、チームに合流して、試合を戦って、と突っ走ってきましたから。現役としてこの先も長くプレーするためにも、このタイミングで一旦、心身をリセットし体を作り直す必要があると感じていたんです。それもあって群馬には無理を言って少し時間をもらい、しっかりと戦える体を取り戻してから合流しました」

 そうした思いで加わった群馬では4シーズンを戦い抜いた。2022年3月には左足首の脱臼骨折というアクシデントに見舞われたものの、大きな病を経験していたこともあってダメージはなかったそうだ。

「足首を折るくらい、どうってことないというか。骨折も大きなケガではあるんですけど、足が痛いだけで、SPNの時のようにHCU(高度治療室)でいろんな管につながれるとか、頭を30度以上あげちゃいけないから常に横向きで寝ていて、自分では寝返りさえうてないとか、背中から入れている痛み止めが合わずに吐き続けるなんてことはなかったので。足さえ治ればサッカーができると考えれば、全然、楽勝だと思っていました」

 その言葉どおり、ポジティブにリハビリと向き合った細貝は「復帰まで6カ月」という診断を大幅に縮めて約4カ月で戦列に戻ると、以降はコンスタントにピッチに立ち、同シーズンを締め括る。

 だが一転、キャプテンに就任した2023年は序盤こそコンスタントに先発メンバーに名を連ねたものの、4月以降は出場機会が激減。その状況は2024年も変わらず、シーズン終了を前にスパイクを脱ぐ意思を固めた。

「僕がそうだったように、サッカーをしている子どもたちにとって、近くに格好いいなと思える選手がいたり、こんなふうになりたいと目標を描ける存在がいることは、すごく意味があると思っていました。だからこそこの4シーズンは、自分がそういう存在になることを常に意識していたし、それがサッカー選手としての礎を作ってくれた群馬への恩返しだと思っていました。

 ですが、ここ2シーズンは思うように試合に絡めない時間が続き......もちろん、それでもやるべきことは続けていたし、チームのために力になるんだという思いが揺らぐことはなかったです。でも正直、ピッチで貢献できていない自分を冷静に見た時に引き際なのかな、と。プロサッカー選手としてピッチの上で輝けなければ、チームを勝たせられるような仕事ができなければ、それは本当の意味でのクラブへの貢献とは言えない。その思いに従って引退を決断しました」

 どんな時も細貝と同じ歩幅で歩いてきてくれた家族もこれまでと同様に、「納得して、決断したことなら」と寄り添い、背中を押してくれたという。

「奥さんは、これまでも僕がサッカーにおいて、その時々で下した決断に異を唱えることはなかったです。たとえば、タイに行くと決めた時も『へー、いいじゃん! 楽しそう!』ってくらい(笑)。きっと彼女にもやりたいことはあったはずですが、すべてのことを受け入れ、常にそばにいてくれたし、プライベートの時間も含めてサッカー中心の生活に理解を示し、僕の考えを尊重してくれた。それは、引退の決断に際しても同じでした」

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